白い靴の行き先

「白い靴だけは、濡らしたくないの」

新居の内覧へ向かう朝、木暮葉奈は羽生田智春へ言った。

葉奈は来月、名古屋の会社へ転職する。東京で一番よく会っていた智春とは、新幹線で二時間離れる。付き合ってもいない相手に残ってとは言えず、智春も「新しい仕事、応援する」としか言わなかった。

内覧の日は雨だった。葉奈が新しい生活のために買った白い靴は、箱から出したばかりで、まだ硬い革の匂いがした。

駅から不動産会社までの歩道には水たまりが続く。智春は大きな傘を葉奈側へ寄せ、自分の肩と革靴を濡らした。葉奈の白い靴だけは、一滴も汚れない。

「そこまでしなくていいよ」

「初日に履くんだろ」

「覚えてたの?」

「葉奈の話は、だいたい」

名前で呼ばれたことに気づき、葉奈は傘の中で横を向いた。普段は木暮と呼ぶ彼が、今日は何度も呼び直すように「葉奈」と言う。

部屋は明るく、駅にも近かった。窓から見える知らない商店街を、智春は自分も歩くつもりのように熱心に眺めた。契約を決め、帰りの新幹線へ向かう。

ホームの手前で、智春が封筒を渡した。中には翌月の指定席券。葉奈の引っ越し一週間後、東京から名古屋へ来る列車だった。さらに翌月、その次の月も、同じ土曜に休暇を入れた予定表がある。

「家具の組み立ては、最初だけでいいよ」

「二回目は街を案内してもらう。三回目は、理由を考えてない」

葉奈は自分のスマホを出し、三回目の予定へ《葉奈と智春の休日》と入力した。四回目には東京へ戻る切符を自分で予約する。

改札前で傘を閉じる。智春が離れようとしたので、葉奈は濡れていない白い靴で一歩近づき、彼の手を取った。

「靴は守ってもらったから、今度は予定を守る」

「遠いよ」

「だから、次を入れたの」

智春は指を絡め、葉奈の切符と自分の切符を同じケースへ入れた。

白い靴だけは濡らしたくないと言った朝、葉奈が本当に失いたくなかったものは、東京へ置いていくはずだった。

雨から守られた靴は新しい街へ向かい、つないだ手は、そこまで一緒に来る人を決めた。