百二十センチの線
遊園地の人気コースター前で、波切征馬は係員へ怒鳴っていた。
「息子は百二十センチある。靴を脱がせて測るなんて侮辱だ。今すぐ乗せろ」
実際の身長は百十六センチ。波切は子どもの靴へ厚い中敷きを重ね、測定板の前ではつま先立ちをさせていた。
若い係員が安全基準のため乗車できないと説明すると、波切は柵を蹴った。
「客の思い出を壊すのか。責任者を呼べ。乗せないなら家族全員の入園料と交通費を返せ。お前の名前も晒すぞ」
後ろの列から、黒いタンクトップ姿の大男が出てきた。土岐路誠岳。両腕に古い傷があり、背中には虎の絵が見えたが、それは映画撮影用の転写だった。
「その子は、乗りたいと言っていますか?」
子どもは黙って首を横へ振った。列の親たちも息を呑んだ。
波切は息子の肩をつかむ。
「せっかく来たんだ。怖がっても乗れば喜ぶ」
土岐路は名刺を見せた。元スタントマンで、現在は遊具事故を扱う弁護士だった。
「身長制限は、客を選別するためではありません。拘束具が体を安全に支えられる範囲です。保護者が同意しても、施設は危険な乗車を許可できません」
波切は、事故が起きたら自分が責任を取ると叫んだ。
「子どもの身体で証明する責任は、誰にも取れません」
係員が警備室へ連絡した。入口カメラには、波切が中敷きを入れ、子どもへ「線を越えるまで背伸びしろ」と命じる場面が残っていた。柵を蹴った衝撃で測定板も傾いている。
波切は返金を求め続けたが、利用規約には安全指示へ従わない場合、退園を求めると明記されている。園は波切本人の年間パスを停止し、測定板の修理費について連絡すると通知した。
土岐路は子どもへ、隣の小型コースターの地図を渡した。
「これは百十センチから。乗るかどうかは君が決めていい」
子どもは初めて笑い、母親とそちらへ向かった。
波切の年間パスが端末で無効になり、子どもの一日券だけが有効のまま残った瞬間、思い出を人質にした父親だけが、遊園地の門外へ案内された。