祖母からの電話を切らない
八歳の千景は、夕食の並んだ食卓で受話器を持っていた。
画面には「おばあちゃん」。誕生日に一度だけ話せる、大好きだった相手だ。向かいに座る継父が、前の人生と同じように人差し指を唇へ当てる。
「『お母さんはいません』って言って、すぐ切れ」
前の千景は従った。
電話の向こうで祖母は「そう」とだけ答え、その夜から連絡が途絶えた。半年後、千景と母は家を追い出された。真冬の夜、二人は駅の待合室で祖母の古い番号を見つめたが、継父が「もう縁を切られた」と端末まで取り上げた。継父が母名義の家を担保に借金し、祖母からの電話はそれを止める最後の確認だったと知ったのは、すべてを失ってからだ。
受話器の向こうで、祖母が尋ねる。
『千景? お母さんはいる?』
継父の目が鋭くなる。
千景は受話器を切らず、スピーカーのボタンを押した。
「いるよ。おじさんもいる。みんなで聞く」
母が箸を止めた。
継父は立ち上がり、電話を奪おうとする。千景は食卓の下をくぐって母の隣へ逃げた。
祖母の声が部屋に響く。
『家の名義変更申請が出ているの。あなたが署名したことになっている』
母の顔が真っ白になる。
「してない」
『やっぱりね。公証人と警察を連れて、今、玄関にいる』
継父が裏口へ走る。
千景は未来で覚えていた、鍵束の中の赤い鍵を先に抜いた。裏口の補助錠を回す鍵だ。継父は扉を開けられず、玄関から入った警察官に止められた。
鞄から偽造された委任状と母の実印が見つかる。
前の人生では午後七時、金融会社から《担保設定完了》の通知が届いた。
母の端末が同じ時刻に鳴る。
《不正申請を凍結しました》
《所有権に変更はありません》
祖母は千景の前にしゃがみ、受話器を切らなかった小さな手を包んだ。
母は泣きながら「子供を巻き込んで」と謝った。
千景は首を振る。
前の人生で祖母から最後に聞いたのは、諦めたような「そう」だった。
今度の祖母は、はっきりと違う言葉をくれた。
「聞かせてくれてありがとう。今夜から、三人で帰る場所を守ろう」