祖母の喫茶券
祖母の砂和は、商店街の喫茶店の回数券を持っている。
十一枚綴りで、残りは二枚。店が今月で閉まるため、孫の惟織を誘った。
砂和は窓際の席へ座り、迷わず昆布茶を頼む。喫茶店なのに珈琲を飲んだことがないという。
惟織はクリームソーダを選んだ。
「昔からそれ?」
「昔は高くて頼めなかった」
祖母は店へ四十年通った。買い物帰りに友人と待ち合わせ、祖父と喧嘩した日は一人で昆布茶を飲んだ。
最後の二枚を店主へ渡す。銀色の盆に、昆布茶と緑の飲み物が並んだ。
「一口飲む?」と惟織が訊く。
砂和はストローを使わず、スプーンで少しすくった。
「甘いねえ」
惟織も昆布茶を飲む。塩気が強く、湯気に紫蘇の香りが混じっている。
閉店の日、二人はもう一度店の前を通った。回数券はないが、店主が余った茶葉で昆布茶を二杯出してくれた。
椅子は半分片づけられ、壁の絵も外されていた。
砂和はカップを飲み干し、「これで本当に最後」と言った。
翌月、惟織の家で昆布茶を淹れた。祖母が使っていた店のカップを一つ譲ってもらっている。
窓際に座り、クリームソーダの代わりに炭酸水も用意した。甘い泡と塩気のある湯気が並ぶと、閉まった店の午後が食卓へ戻ってきた。
喫茶店のカップは、店主が閉店時に常連へ一つずつ譲ったものだった。底には店名が青く印刷されている。砂和が来る日は、そのカップで昆布茶を淹れ、惟織は背の高いグラスに炭酸を注ぐ。ある午後、祖母がクリームソーダへ挑戦した。アイスが溶ける前に一口飲み、「やっぱり昆布茶」と顔をしかめる。二人で笑い、残りは惟織が飲んだ。塩気と甘いメロンの香りが同じ食卓に残り、閉まった店の窓際が家の中へ少しずつ移ってきた。
砂和はカップを洗うたび、底の店名を指でなぞった。印刷は少しずつ薄くなる。惟織は拭きすぎないよう布を渡し、二人で塩気の残る縁を静かに乾かした。