祖母の字の大根餅

姜依奈は、新しい名刺の校正画面を閉じ、祖母の大根餅を焼いた。

勤務先では来月から海外顧客を担当する。会議では姓を一度で読まれないことが多く、依奈は訂正するたび、話の流れを止めた人のように謝ってきた。上司は悪気なく、「母方の日本姓を通称にしたら、相手も読みやすい」と提案した。強制ではない。依奈も、そのほうが説明を省けると思い、〈森田依奈〉で百枚を発注しかけていた。

台湾で生まれた祖母は、依奈の名刺を財布へ入れるのを楽しみにしている。まだ若手だった古い名刺も、角が丸くなるまで持っていた。依奈が中学生のころ、一度だけ母方の姓を使いたいと言ったときも、祖母は反対しなかった。ただ新しい教科書の裏へ、細い字で〈姜依奈〉と書き、名前をなくさない場所を一つ作った。新しい姓を見せれば、きっと理由を聞かずに笑う。その笑顔を想像するほど言えなかった。

祖母のレシピは繁体字で、依奈には読めない字も多い。けれど、大根を絞った汁を捨てないこと、米粉を入れる順番、焼く前に一晩冷やすことは手が覚えている。

胡麻油の香りが台所へ広がる。焼けた端は薄くぱりっとし、内側は温かくもちついた。

依奈は四角い一枚を、端から食べた。祖母はいつも、いちばん焦げた角を依奈へよこした。香ばしいところが好きだと知っていたからだ。

半分まで食べ、発注画面をもう一度開く。姓の欄だけが点滅している。

読み間違えられた回数を思い出す。電話で何度も聞き返されたこと、初対面で出身を尋ねられたこと。面倒がなくなるなら、通称は便利だ。けれど便利になるのは、依奈の名前を覚えなくていい側だけだった。

最後の一口を皿へ置く。その下へ、試し刷りした〈森田依奈〉の名刺を敷いた。油が紙へ丸く染みた。

依奈は一口を食べ、染みた名刺を捨てる。発注画面の姓を〈姜〉へ戻し、読み仮名を大きく入れた。

備考欄には、英字表記も添えた。説明をやめるのではなく、読める入口を自分で作る。

祖母へ送る一枚目の名刺には、大根餅の匂いは残らない。それでも依奈は、祖母の字で覚えた手順と同じ名前を、今度は隠さず印刷した。