空席に置く鞄
知世は町内会の回覧板を最初から最後まで読む。亜希は、回覧板を鍋敷きにする。
「会議なんて、声の大きい人が決めるだけ」
亜希が言うと、知世は「行かない人の分までね」と返す。
二人の住むマンションで、洗濯物の盗難が続いた。被害に遭ったのは女性ばかりだった。管理会社は掲示板に、〈下着類は室内に干してください〉と貼った。
知世は住民説明会へ行くと言った。亜希は行かないと言った。
当日、知世が一人で集会室へ入ると、前列には管理会社と年配の男性住民が座り、女性たちは後ろに固まっていた。机の上の資料には、防犯カメラ増設ではなく「女性入居者への注意喚起」とある。
知世は、会議の手順に沿って意見を変えるべきだと思っていた。亜希は、手順そのものが話しにくい人を後ろへ追いやるなら、席から変えればいいと思っていた。
開始直前、隣の空席に鞄が置かれた。
亜希だった。
「鍋が焦げたから、ついで」
嘘だとわかったが、知世は笑わなかった。亜希は前列のもう一つの椅子にも、自分の買い物袋を置いた。
管理会社の担当者が、席を詰めるよう頼んだ。
「ここ、被害に遭った人が座ります」
亜希が言う。
やがて三階の女性が前へ来た。次に五階の学生が来た。二人とも、後ろでは話しにくかったと小さな声で言った。
会議が始まる。担当者は「自己防衛」を繰り返した。知世は議事録を取り、亜希はスマートフォンを机に置いた。三階の女性が被害届の相談を断られた経緯を話すと、知世は質問事項を紙に書き、亜希がその紙を前へ滑らせた。
「録音は困ります」
「議事録と違ったら困るので」
亜希は消さなかった。知世は、録音に頼りすぎるのはよくないと思った。亜希は、議事録だけでは都合よく直されると思った。二人は一致しないまま、同じ発言者の名前と時刻を残した。
最後に、防犯カメラの死角調査と、被害届提出の支援が検討事項へ入った。決定ではない。ただ、女性の洗濯方法だけで終わる会議ではなくなった。
閉会後、知世が鞄を持ち上げる。亜希も買い物袋をどけた。
空いた二つの席へ、後ろにいた女性たちが次々と座った。