空箱の領地
黄金夜会で、オスヴァン公子は空の宝石箱を高く掲げた。
「ヘティア・フェルマー。君は公爵家から預かった結婚資金を使い果たした」
隣のノルマが、哀れむように目を伏せる。
「領民への施しと称して浪費したそうです。箱には一枚の証書も残っていません」
「財産を管理できぬ女とは婚約を破棄する。君の領地も、借金の担保として我が家が引き取る」
ヘティアは空箱を見ても驚かなかった。
「告発は、結婚資金を失い、領地を抵当に入れたという一点ですね」
「その空箱が証拠だ」
「箱は証拠になりません。中身が移った先こそ証拠です」
王立銀行卿ブレグが、客の列から進み出た。飾り気のない黒衣で、手にしているのは一通の預託契約だけだった。
「半年前、ヘティア嬢は結婚資金と領地証書を王立銀行の独立信託へ移した」
契約には条件が一つ記されている。
婚約者またはその家が、本人の同意なく資産を要求した時点で、信託はヘティア個人名義へ確定する。
その下には、オスヴァン自身の署名があった。彼は内容を読まず、婚前手続きの一枚として署名していたのだ。
「今夜、空箱を掲げて領地を要求したことで条件が成立した」とブレグは言う。「結婚資金も領地も、公爵家には一切渡らない」
ノルマが公子から離れた。オスヴァンは止めようともせず、空箱と契約書を見比べる。彼の顔には、失った婚約者への惜しさより、手に入らなくなった領地への焦りだけが浮かんだ。
「ヘティア、これは資産管理能力を試しただけだ。合格だ。婚約破棄は撤回する」
「試験を受ける契約には、署名しておりません」
彼女は空箱の蓋を閉じた。中身がないから軽い。領民の税を婚礼の見栄へ使わず、灌漑路へ回した判断も、この契約が守ってくれた。これまで婚約という名で抱えていたものも、同じだったのかもしれない。重そうに見えただけの空箱だった。
ブレグが手を差し出す。
「信託評議会に席がある。他人の箱を飾るより、自分の領地へ投資先を選べる席だ」
ヘティアはオスヴァンに背を向け、その手を取った。