紙吹雪のあとで

梨乃の画面には、緑色の〈オファーを承諾する〉と、白色の〈辞退する〉が並んでいた。

創業三年の会社から、事業責任者として誘われた。給与は下がる。休日も不規則になる。だが、梨乃が提案してきたサービスを、自分の判断で形にできる。

章吾とは、冬に婚姻届を出す予定だった。彼は安定した生活を望み、起業直後の会社へ移ることに反対している。

昨夜、二人は初めて、声を荒らげずに別れの可能性を話した。

「受けるなら、僕は結婚できない」

「脅してる?」

「境界を言ってる」

梨乃の机には、章吾から預かった部屋の鍵と、転職先から届いた入館カードが置かれている。鍵には小さな家の形のチャーム。カードには番号しかない。

二十九歳で婚約を失う怖さは、数字にできなかった。新しい会社が半年で潰れる可能性は、資料に赤字で書かれている。誰かに相談すれば、章吾を大切にすべきだとも、挑戦は今だけだとも言われるだろう。

章吾と選んだ食器の配送通知は、来週の日付になっていた。転職先の入社案内も来週から始まる。二人分の皿と、一人分の社員番号が、同じ週に届くことだけは決まっている。

梨乃はどちらの言葉も聞きたくなかった。失敗したとき、勧めた人を恨みたくなかった。

章吾へ最後のメッセージを打つ。

〈承諾する。あなたが悪いからじゃない〉

消して、書き直す。

〈承諾する。私が選ぶ〉

送信すると、既読はつかなかった。

緑のボタンへ指を置く。押せば仕事が手に入り、結婚を失うと決まっているわけではない。けれど章吾の言葉を、どうせ戻ってくると軽く扱うことはできない。

押した指はすぐ離れたのに、画面の緑だけがしばらく瞼に残った。失うものを照らすには、明るすぎる色だった。

梨乃は承諾を押した。画面に紙吹雪のような演出が流れた。祝われる気分ではなく、すぐ閉じた。

家のチャームがついた鍵を封筒へ入れ、宛名を書く。入館カードだけを首にかけると、番号が胸に当たった。

梨乃は返却用の封筒を、明朝ではなく今夜の集荷箱へ落とした。