続きの場所

 芦原榛名は、喫茶「余白」の閉店時刻までに校正を終えるつもりだった。

 明朝提出の冊子は、あと四十七ページ。編集部からは「無理なら相談を」と言われているが、相談するほどではないと返した。熱っぽさも、目の奥の痛みも、眠れば治る程度だと思っている。眠る時間を取らなければ、治るかどうか確かめずに済む。

 店は今夜で営業を終える。机や古本に値札がつく中、榛名の隣には真鍮の栞が一つ置かれていた。細い板に、「つづき」と平仮名で刻まれている。

 時計が十時五十分を指すと、店主は照明を一段落とした。

「あと少しなので」

 榛名が言うと、店主は頷いた。ただし灯りを戻さない。レジ脇から栞を取り、値札を確認する。

 榛名は画面の文字が二重に見え始め、諦めて会計へ向かった。真鍮の栞も一緒に差し出す。

 店主は包装する前に、榛名が抱えていた校正紙へ目を落とした。内容は読まず、開いていたページ番号だけを確かめる。栞をその位置へ差し込み、紙の束を閉じた。四十七ページ先ではなく、今止まった場所に「つづき」の文字が残る。

 それから束ごと返し、栞の代金をレジへ打った。

 榛名は会計台で編集部へのメールを開く。

「体調不良のため、提出を明日午後へ変更させてください。現時点で百十三ページまで確認済みです」

 理由を薄める言葉を何度も消した。「少し」「念のため」「可能であれば」。最後には、必要な事実だけが残った。

 送信すると、すぐに了承が届いた。心配する短い文まで添えられていたが、榛名は返信を明日に回した。

 店主は古時計のねじを巻かず、振り子をそっと止めた。この店に明日の営業はない。それでも、榛名の紙には続きの場所がある。

 終わらせなければ休めないと思っていた。けれど休むことは、投げ出すことではなく、戻る位置を残すことなのかもしれない。

 榛名は校正紙を鞄へしまい、スマートフォンの業務通知を朝九時まで切った。

 店を出ると、夜風が熱い額に触れた。

「つづき」は閉じた紙の間にあり、今夜の自分を追い立てず、明日の自分を待っていた。