薄く三度塗る銀爪
王女の婚約式まで、残り一刻。
銀箔入りの爪紅は美しいが、厚く塗るほど乾かなかった。扇を持てば指紋が付き、手袋をはめれば表面が剥がれる。宮廷化粧師はさらに乾燥粉を振り、爪を曇らせた。王女は三度やり直し、既に泣きそうだった。
前世でネイル技術者だったキリエナは、特別な薬を求めなかった。
「一度で隠そうとするから乾きません。薄く三度に分けます」
化粧師長は鼻で笑う。「三度なら三倍かかる」
キリエナは王女の左手を借り、刷毛の液を瓶口でしっかり落とした。透けるほど薄い一層目を五本へ塗る。砂時計で三分。触れても糸を引かなくなったところで二層目、さらに三層目を重ねた。銀箔は少しずつ密度を増し、十二分後には鏡のような光になった。
右手の厚塗りは同じ十二分が過ぎても指でへこんだ。
化粧師長は表面だけ乾いたに違いないと言った。王女は左手で硬い扇を握り、革手袋をはめ、留め金を三度開閉した。脱いだ爪には筋一本ない。右手はそっと布へ触れただけで銀色が移った。
キリエナは侍女十人にも同じ手順を教えた。全員が十五分以内に両手を終え、やり直しはゼロ。従来の厚塗りでは一人平均一刻半、失敗は三人に一人だった。銀箔の使用量まで四割減った。
婚約式で王女が署名すると、爪の銀が指輪の宝石を受けて光った。隣国の王子は署名より先にその手を取り、「北の湖のようだ」と褒める。
式後、貴婦人たちの注文札が化粧室の扉まで並んだ。急いで署名する予定の女官、楽器を弾く令嬢、手袋を外せない騎士夫人まで、十二分で乾くなら使えると名を書いた。夕鐘までに予約は七百組を超えた。
化粧師長は乾燥粉の袋を隠したが、王女はそれを侍女へ返却させた。厚く塗った右手がまだ柔らかいことも、列の全員が見ていた。キリエナは右手を落とし、同じ三層で十二分後に仕上げる。式の記念手袋には銀色が一点も付かなかった。三枚の砂時計だけが、王女の鏡台中央へ置かれる。
「銀爪千瓶。キリエナを王宮爪紅師として雇います」