蝋燭が覚えた停電
実家を売る前夜、三人きょうだいは古い食卓を囲んだ。
父が亡くなり、母も施設へ移る。
家を残す理由はなくなったが、誰も最後の灯りを消せずにいた。
引き出しから、短くなった太い蝋燭が出てきた。
二十年前、大停電の夜に家族で使った物だ。
付属の翻訳粉を芯へ振ると、蝋が一滴落ちるたび、その夜に近くで言われた一文が古い順に聞こえるという。
火をつける。
「怖くない」
幼い弟の声。
次の滴。
「冷蔵庫、開けるな」
父の声。
「お姉ちゃん、毛布取った」
「私じゃない」
「蝋燭、倒すな」
皆、少しずつ思い出して笑った。
停電の夜を、家族で楽しく過ごした記憶にしていた。
蝋がさらに落ちる。
母の小さな声。
「本当は、私も怖い」
きょうだいは黙った。
母はあの夜、父の工場が事故で止まり、連絡が取れなかったことを知っていた。
子どもたちの前で平気な顔をし、料理を出し、歌まで歌った。
次の滴。
父の声。
「帰れてよかった。明日から、一緒に食べよう」
停電が直ったあと、家族は本当にしばらく毎晩同じ食卓へ集まった。
やがて仕事、部活、進学で時間がずれ、その約束を忘れた。
最後の蝋が落ちる前、姉が言った。
「この家を売ったら、もう集まらない気がする」
弟は、
「家があっても集まってなかった」
と答えた。
末のきょうだいは、母を施設へ任せた罪悪感を口にした。
誰も家を残そうとは言わなかった。
維持できないことは分かっている。
ただ、家を売る決定と、家族で会わなくなる未来を、同じものにしていた。
最後の一滴が落ちる。
母の声だった。
「暗いと、顔が近いね」
蝋燭は消えた。
翌月から、三人は母の施設近くの食堂で月に一度会うことにした。
毎回そろうわけではない。
仕事で来られない人もいる。
それでも来られないと連絡し、次の月を決める。
食卓は売らず、板だけ外して小さな三つの盆に作り替えた。
一人ずつ持つ。
同じ食事を載せることは少ないが、木目はつながっている。
蝋燭が訳したのは、停電の中で交わされた普通の声だった。
家を守る秘密ではなく、暗い日に顔を近づける方法を思い出させる言葉だった。