規定トルクの帰り道
月岡蔵人の古いバンが雨の国道でパンクし、呼んだロードサービスより先に細谷祥悟が来た。
「住所、変えてなかったのか」
「緊急連絡先だけだ」
二人はかつてカートレースの同じチームにいた。蔵人がドライバー、祥悟がメカニック。決勝で左後輪が外れ、蔵人は肋骨を折った。原因は部品の欠陥とされたが、蔵人は締め付け不足を疑った。事故映像には車輪が外れる瞬間しか映っておらず、整備記録も雨で滲んでいた。祥悟は反論せず、チームを去った。
六年ぶりに会った夜、蔵人のバンには衣装ケースと布団が積まれていた。住んでいた部屋を今日出たことは、聞かれるまで言わなかった。
二人は路肩へ三角表示板を置き、ジャッキをかけた。蔵人が濡れたナットを緩め、祥悟が車体を支える。雨粒がボンネットを叩き、会話を細切れにした。
「締めるのは俺がやる」
蔵人が言った。
「好きにしろ」
予備タイヤをはめ、蔵人は十字レンチへ体重をかけた。祥悟が腕を掴む。
「締めすぎるな」
「緩むよりましだ」
「金属は怖がるほど壊れる」
祥悟は工具箱からトルクレンチを出した。規定値を合わせ、一つずつ音が鳴るまで締める。蔵人は見ていた。最後のナットで、乾いたクリック音がした。
「昔も、これを使ったのか」
「使った」
「なら、なんで外れた」
「分からない」
六年待った答えは、それだけだった。蔵人は怒鳴れなかった。分からないものを、誰か一人の罪にして生きてきた自分だけが残った。
パンクしたタイヤを荷台へ積むと、祥悟はバンの荷物を見た。
「どこへ運ぶ」
「決めてない。朝まで走る」
「このタイヤで長距離は無理だ」
祥悟は先導し、自宅兼工場の門を開けた。蔵人は道路脇に停めようとしたが、祥悟が奥の屋根付き区画を指した。そこは昔、レース用車両を置いた場所だった。
工場へ入ると、作業台には二人分の即席麺と乾いたタオルがあった。祥悟はバンのキーへ小さな門扉リモコンを付けた。
「明朝、増し締めする。それまでは動かすな」
蔵人は帰り道を尋ねなかった。エンジンを切り、荷台の布団を一つだけ工場の奥へ運んだ。