記憶を振る骰子
絞首台の上で、ナハルドは処刑人ベルガンへ骰子を差し出した。
「三回勝負だ。私が勝てば縄を外せ」
群衆が笑った。ベルガンは賭博好きで、処刑前の余興を断らない。彼は斧の柄で卓を作り、二つの骨骰子を転がした。
ナハルドの掌では、骰子の童と呼ばれる悪魔が舌を鳴らしている。
契約の規則は、骰子を振るたび、勝負相手と記憶を一つ無作為に交換すること。勝敗とは関係なく、投げれば必ず入れ替わる。
一投目。
ナハルドは五。ベルガンは三。
同時に、ナハルドの頭へ処刑場の裏口の場所が流れ込んだ。代わりに、母が焼いた林檎菓子の匂いが消える。
ベルガンは一瞬、知らない台所を懐かしむ顔をした。
二投目。
ナハルドは二。ベルガンは六。
今度は、縄の結び方と腰の鍵束の重さがナハルドの手へ馴染む。代わりに妹の顔を渡した。ベルガンが「兄さん」と呟き、自分で驚いて口を押さえる。
一勝一敗。
「次で終わりだ」とベルガンが言う。その言葉を、ナハルドは自分の口癖のように感じた。相手の記憶が増え、自分の輪郭が薄くなっている。
三投目の前、骰子の童が囁く。
――最後は大きな記憶を交換する。職務か、罪か、名前か。何が出るかは運だ。
ナハルドは振った。
六。
ベルガンは一。
群衆が歓声を上げる。約束どおり処刑人は鍵を外さねばならない。
その瞬間、最後の記憶が交換された。
ナハルドの中へ、三百人を吊した朝、斧を研いだ夜、執行命令へ署名した誇りが雪崩れ込む。自分は処刑人ベルガンであるという、揺るぎない二十年が胸に根を張った。
向かいの男は膝をつき、泣き出した。
「私はナハルドだ。妹は病床にいる。薬を盗んだだけだ。吊さないでくれ」
その訴えは真実だった。だがナハルド――ベルガンの記憶を持つ勝者――には、死刑囚の卑しい命乞いにしか聞こえない。
彼は慣れた手つきで相手の首へ縄を掛けた。腰の鍵がどこにあるかも、踏み板の癖も知っている。
監督官が戸惑う。
「勝者を放す約束では」
「放すとも」
彼は自分の縄を外し、釈放証へ署名した。
《処刑人ベルガン》
筆跡まで、記憶どおりだった。
踏み板が落ちる。ナハルドの記憶を持つ男が宙で揺れ、最後まで妹の名を叫んだ。
勝者は処刑場を出た。門番は顔を見てナハルドと呼んだが、彼は振り返らない。
骨骰子だけが卓上に残り、出目の六つの穴から悪魔が笑った。
自由になった身体の中には、処刑された男の名前を覚えている者が、もう一人もいなかった。