誰にも読めない黒日記

夜だけ頁を売る書店〈秘めごと棚〉へ、会計官エフラムは空の鞄を抱えて入った。

「書いたそばから、読まれるんです」

彼は領主の不正徴税を記録していた。だが領主は読心術を持ち、日記を隠しても、暗号にしても、書いた内容をエフラムの記憶から読み取って燃やしてしまう。明晩の監査まで証拠を残せなければ、村から二重に取った税は戻らない。

店主トヴァルは、金具も鍵穴もない黒表紙の日記を一冊出した。

〈脈綴じ帳〉。書いた内容を頭から頁へ移し、持ち主の鼓動が触れた時だけ戻します」

「私まで忘れたら、監査で説明できない」

「必要な時に胸へ当てれば、一行ずつ思い出せます。盗み見る者には、ただの白紙です」

エフラムは試しに、徴税額の一つを書いた。

《北村、銀貨二百。公印の報告は百。》

文字が乾くと同時に、彼は眉を寄せた。「何を書いたか分からない」と呟く。トヴァルが日記を開いても、頁は真っ白だった。

エフラムが表紙を胸へ当てる。

とくん、と日記が鳴った。

北村の数字、徴税日、命令書の隠し場所まで、声に出さずとも目へ戻ってくる。表紙を離せば、また記憶の底から消えた。読心術で探られても、そこには何もない。

彼は空の鞄から、細く切った帳簿の写しを何十枚も出した。

「空だったんじゃないんだな」

「頭に置けないから、ずっと靴底に隠していました」

夜明けまでかけて、写しの内容を一冊へ移す。最後の行を書き終えたエフラムの背は、入店時より真っすぐだった。もう証拠を守るため、怯えた顔を演じ続ける必要はない。

代金は金貨一枚。彼は銀貨で不足なく払い、領主の紋章が付いた高価な鞄だけを台へ残した。

「これは売っても捨ててもいい。監査が終われば、もうあの人の鞄は持たない」

さらに同じ日記を一冊、監査後の受取で注文する。

「次は不正の記録ではなく、返ってきた税で村が何を直したかを書く」

エフラムが黒い一冊を胸に隠して去る。トヴァルが残された鞄から領主の紋章を外した瞬間、店のベルが、新しい頁をめくるように鳴った。