赤い傘を追い越して

バイク便の山間ルート表では、旧葛折トンネルにだけ手書きの注意が添えられている。

《坑内で赤い傘の人を追い越してはいけない》

網代颯真は二十四歳。大雨警報の夜、医療書類を届けるため峠へ入った。新道が土砂で閉鎖され、残るのは旧トンネルだけだった。

ヘッドライトの先を、赤い傘を差した人が歩いていた。顔も服も傘に隠れ、速度はひどく遅い。クラクションを鳴らしても道を譲らない。

締切まで七分。颯真は注意書きを思い出したが、反対車線へ膨らみ、一度だけその人を追い越した。

横を通る瞬間、傘の内側に道路が映っていた。上下逆さまの道路を、颯真自身が歩いていた。

彼はアクセルを開けた。出口まで赤い傘は現れず、配送も時間内に終わった。受取人は書類を確かめてから、「さっき同じ人が届けに来た」と言った。署名欄には、颯真の筆跡で先に受領時刻が書かれ、配達アプリには追い越し料金という見慣れない控除が出ていた。

翌朝、車載カメラの映像を確認すると、追い越した後の全フレームにも赤い傘が写っていた。前方ではなく、颯真の真上に開いている。雨滴は傘から空へ落ちていた。

データを削除しても、バイクのナビに見知らぬ運転支援表示が残った。

《先行者 1名》

《距離 12m》

走るたび距離は縮まった。十メートル、五メートル、二メートル。停車しても減り続ける。

颯真はバイクを会社の地下駐車場へ置き、電車で帰宅した。翌日、ナビ表示はスマートフォンへ同期されていた。

《先行者 1名》

《距離 0m》

地図上の矢印は、颯真の自宅から動かない。

その夜、玄関前の宅配ボックスが開いた。中には濡れた赤い傘と、配達完了票が入っていた。受取人は網代颯真。配達員欄にも網代颯真とある。

翌朝、通勤アプリが自動でルートを提案した。

《先行者が出発しました。追い越さずについて行ってください》

窓の外を見ると、赤い傘が住宅街をゆっくり進んでいた。

スマートフォンの現在地マークは、部屋にいる颯真ではなく、傘の下を歩いていた。