身代わりでは終わらない

十六時五十五分、市来泰成は評価面談室で赤いペンを見つめた。

部長の端末には〈人員削減リスト確定まで五分〉。泰成の後輩が、三億円の損失責任者として登録されている。削減枠は一人。入社二年目の彼女が切られれば、管理職である泰成たちは無傷のまま決算を越えられる。面談室の外では、本人が結果を待っていた。

「損失を出したのは僕です」

部長は赤いペンを回した。

「君一人の責任で済むと思う?」

十七時。確定音が鳴り、蛍光灯が瞬く。次の瞬間、時計は十六時五十五分へ戻っていた。

リストから後輩の名を消し、部長に修正版を承認させれば終了する。泰成はそう理解した。

二周目、設計判断を自分がしたと説明した。

「損失を出したのは僕です」

「ログでは、入力したのは彼女だ」

三周目、口頭で指示したと嘘を重ねた。五周目には、私物端末から偽のメモまで作った。だが赤いペンは承認欄へ下りない。

七周目、部長が同じ問いを投げる。

「君一人の責任で済むと思う?」

泰成は初めて、損失ログを最初から読んだ。後輩の入力ミスだけではない。彼が納期を優先してレビューを省き、部長が警告を無視し、営業が無理な仕様を約束していた。誰か一人を身代わりにする仕組みそのものが、ループの矛盾だった。

八周目。

「損失を出したのは僕です」

「また英雄ごっこか」

「いいえ。僕も出しました」

泰成は全ログを人事と監査へ送り、後輩だけでなく自分、部長、営業責任者の承認経路を開示した。自分の辞表も添えたが、後輩の無罪証明は書かなかった。彼女のミスも消さず、再教育案とともに残した。

部長は赤いペンを机へ叩きつける。

「全員の評価が落ちるぞ」

「一人の人生で帳尻を合わせるより、正確です」

十七時。削減リストは確定せず、全案件が再審査へ移った。時計は十七時一分になる。

泰成の辞表だけは即時受理された。廊下で後輩が何か言おうとしたが、彼は礼も謝罪も待たずに社員証を返した。

赤いペンの跡は、誰か一人の名前を囲まなかった。