輸出便の温度記録
冷凍コンテナの扉が閉まる直前、伊集院朔弥は温度計をもう一度確認した。
マイナス二十度。記録と実測が一致している。
道明寺慶悟社長の工場では、それが珍しかった。冷却が追いつかなくても帳簿には同じ数字を書き、残業で検品する社員へは「海外客は紙しか見ない」と言った。
「その便を止めたら違約金だ。署名しろ」
道明寺が虚偽の記録を差し出した日、朔弥は署名せず、仲間とともに証拠を保全した。
一か月後の輸出監査。工場には海外バイヤー、認証機関、取引銀行の担当者が集まった。道明寺は磨いた長靴で歩き回り、自社の品質管理を語る。朔弥たちはその日まで通常の出荷を守り、疑わしい品だけを隔離した。告発のために不良品を流すことも、会社の魚を持ち出すこともなかった。だからこそ、提出した実測データには一つの作為もなかった。
監査員が温度記録を開いた。
「毎日、全便が一分の誤差もなく同じ温度です。あり得ませんね」
道明寺は朔弥を指した。
「こいつの管理ミスだ。今日でクビにする」
朔弥は退職届を机へ置いた。続いて、検品、冷凍、配送の三十六人が同じ書類を並べる。
海外バイヤーが立ち上がった。
「ちょうどよかった。次便からは、伊集院さんたちの協同工場へ切り替えます」
港近くの休眠施設を、バイヤーと地元漁協が共同で再稼働させていた。必要な認証も、その朝に取得している。
「契約はうちのものだ」
「契約条件は認証の維持です」
監査員が旧工場の輸出認証停止を告げた。同時に労働基準監督署が、夜勤記録と給与台帳の確認に入る。道明寺が削除したはずの温度データも、計測会社のサーバーに残っていた。
銀行員は融資契約書を閉じた。
「認証停止と主力契約の解約により、返済条件を見直します。追加融資はありません」
道明寺の工場には、返金と違約金と未払い賃金だけが残る。
港で汽笛が鳴った。新会社の名が入ったコンテナが、正しい温度記録とともに船へ積まれる。
その便が岸壁を離れた瞬間、朔弥たちの魚は世界へ向かい、道明寺の会社だけが港で凍りついた。