迎えに来ない人
母は駅で待つ人だった。
学校を休んで友達の家へ逃げた日も、就職して寮へ入ろうとした日も、改札の外に立っていた。笑いながら名前を呼び、拒めば人前で泣いた。だから家を出てからも、妹の綴を一人で駅へ行かせなかった。母を見かけたと言って、綴の夜勤を断らせたことが三度ある。交際相手との旅行も、乗換駅に似た後ろ姿がいたと告げて中止させた。
転職の面接で遠方へ行く朝、私は改札まで付き添った。
「母が来るかもしれない」
綴は電光掲示板を見上げたまま、「もう来ないよ」と言った。
最近、妹は同じ返事をする。私が『昨日、商店街にいた』と言っても、母が使っていた傘の色を尋ねるようになった。私はいつも赤と答えたが、綴は母の傘は青だったと言った。母から電話がないと言っても、番号を変えただけ。近所で見かけないと言っても、誰かに見張らせている。安全だと思った瞬間が一番危ない。
私はホームへ上がる階段の前で立ち止まり、発車時刻まで十五分あるのに「今日は中止しよう」と提案した。綴は鞄から新聞の切り抜きを出した。
母の死亡記事だった。日付は八か月前。親族から届いた知らせを、私は妹に見せず捨てたはずだった。
「偽物かもしれない」
「火葬にも行ったんでしょう」
綴は私の財布から、斎場の領収書を抜いた。私が眠っている間に見たらしい。
私は説明した。死亡記事を隠したのも、急に安心して無防備になる妹を守るためだった。母という具体的な恐怖が消えれば、綴は私の忠告まで聞かなくなる。母が死んでも、植えつけられたものは残る。私が警戒をやめれば、綴はまた誰かに支配される。だから面接も、一人暮らしも、恋愛も、もう少し待つべきだ。
「誰を待ってるの」
電車が入ってきた。私は綴の腕をつかんだが、妹は初めて振り払った。
「お姉ちゃんが、迎えに来ない人を待たせてるんだよ」
扉が閉まり、綴だけが運ばれていった。
帰宅して財布を確かめる。領収書の奥には、母の死亡記事をもう一枚入れてあった。駅で母を見たと綴に告げた最初の日より、その死亡日は四か月も早い。
私は記事を折り直し、明日の発車時刻を調べた。