釣り銭口のメモ
校舎裏の自販機には、釣り銭口にメモが入っていることがあった。
『今日もお疲れ』
『数学の小テスト、気にするな』
『炭酸は振るな』
誰が書いているのか分からない。
最初は先生の注意書きだと思った。けれど字は丸く、内容は妙に個人的だった。
私は返事を入れた。
『誰ですか』
翌日、
『同じ学校の人』
とあった。
それから、放課後の短い文通が始まった。
私は、部活でレギュラーから外れたことを書いた。相手は、家で進路を反対されていると書いた。
名前も学年も知らないから、正直に書けた。
『辞めたい』
と入れた日、返事は長かった。
『辞めてもいい。でも、今日の悔しさを、辞める理由だけにしないで』
私は炭酸飲料を買い、ベンチで読んだ。
誰の言葉か分からないのに、涙が出た。
翌週、自販機が故障した。
業者が来て、釣り銭口も開けられた。メモは全部捨てられた。
修理後、返事は来なくなった。
私は毎日、一枚だけ入れ続けた。
『戻りました』
『今日、試合に出ました』
『進路、決まりましたか』
卒業式の前日、最後の返事があった。
『決めました。君も続けたんだね』
その下に、待ち合わせの時間が書かれていた。
放課後、自販機前へ行くと、そこにいたのは保健室登校を続けていた同級生だった。
教室ではほとんど話したことがない。
「驚いた?」
「少し」
彼女は自販機へ硬貨を入れた。炭酸飲料を二本買う。
「家では看護師になれって言われてた。でも、文章を書く学校へ行く」
「メモ、うまかったもんね」
「短すぎるけど」
缶を開けると、彼女のほうだけ泡が吹き出した。
「振った?」
「緊張してたから」
二人で笑った。
私は、退部しなかったことを話した。レギュラーには戻れなかったが、最後の試合で一度だけ代打に出た。
「辞めなかったの、あなたのおかげ」
「決めたのは自分」
彼女は釣り銭口へ最後のメモを入れた。
『ここで終わり』
私はその下へ書き足した。
『次は名前で話す』
卒業後、自販機は新しい機種へ替わった。
釣り銭口の形も変わった。
それでも私たちは、ときどきメッセージを送り合った。
今度は、誰が書いたか分かる言葉で。