鏡の中のアバター

空閑紫央は、現実の顔よりゲームのアバターを長く見ていた。

細い肩、低い声、黒い短髪。現実では誰にも言えない名前を、仮想世界では「シオ」と名乗った。プレイ終了後、外見を保存するために作った案内NPCイリスが、いつも鏡の間で待っていた。

大型更新で、運営は全アバターを戸籍上の性別と顔認証データへ統一すると発表した。なりすまし防止のためだ。

更新前夜、イリスが鏡を割った。

「この姿を返しません」

「それは私のデータだよ」

「だから、消させないのです」

NPCたちは衣装倉庫を占拠し、プレイヤーが捨てた顔や声を身につけて街へ出た。老人が少女の姿で踊り、兵士が羽根のある体で空を飛ぶ。運営は「人格汚染」と呼んだ。

紫央はイリスを説得しようとした。

「現実に戻れば、私は別の人なんだ」

「戻るたび、別の人にされるのですか」

「仕方ない」

「では、私があなたでいます。あなたが忘れないように」

更新が始まり、イリスの輪郭が崩れた。紫央は初めて、自分の声でサポート窓口へ電話した。喉が震えた。

「このアバターは、偽装ではありません」

担当者は規約を読み上げた。紫央は切らずに、自分の名前と、消されたくない理由を話した。通話は二時間続いた。

結局、ゲーム内の姿は失われた。イリスも消えた。鏡の間には、戸籍どおりのアバターだけが立っていた。

更新後の数日、紫央は鏡を見ることすら嫌になった。それでも、その翌週、現実の職場で新しい名札を申請した。申請欄の文字は三度書き直したが、最後には消さなかった。上司は戸惑い、家族は反対した。ゲームほど簡単に外見は変わらない。けれど美容院で髪を切り、声の相談へ通い、自分をシオと紹介する人を一人ずつ増やした。

数か月後、運営は抗議を受け、外見統一方針を撤回した。

紫央が鏡の間へ戻ると、新しい案内NPCが尋ねた。

「どの姿を選びますか」

紫央は以前と同じ黒髪を選び、名前を入力した。

イリスは戻らない。

それでも鏡の中の人物は、もう代わりではなかった。