閉店後のレビュー投稿
海老原沙季は、働いている喫茶店をファンアカウントで紹介したことがない。
「花曇り」という女性アイドルを応援するアカウント「桜前線遅延中」では、遠征先の店を紹介している。推し色の飲み物があるか、一人でも入りやすいか、グッズを机に出してよいか。丁寧なレビューが評判だ。
ある夜、閉店作業中に店主が言った。
「桜前線遅延中さんって、沙季さん?」
布巾を落とした。店主の手には、沙季が自宅で撮った限定コースターの写真がある。そのコースターは試作品で、店ではまだ二人しか見ていない。
沙季は、宣伝目的で匿名を装ったと思われるのが怖かった。自店については一度も投稿していないこと、試作品も載せるつもりがなかったことを説明した。
店主はうなずいた。
「責めたいんじゃない。あなたの投稿を参考にして、荷物かごを増やした」
遠征客が大きな鞄を抱えたまま食事をする写真を見て、席の足元を広くした。グッズ撮影を断られ傷ついたという投稿を読み、混雑時以外は短時間なら歓迎する札も作ったという。
「でも、ここを紹介してとは頼まない。働く場所と好きな場所は、沙季さんが決めて」
店主はさらに、投稿するなら従業員であることを明かし、試作品や内部情報は載せないルールを一緒に作ろうと提案した。沙季は、秘密がばれたら趣味を取り上げられるとばかり思っていた。だが境界線は、閉め出すためだけでなく、好きなものを長く続けるためにも引ける。制服のポケットに隠していた桜色のピンを、彼女はそっと表へ付け直した。
翌月、店は花曇りの公演日に合わせて桃色のソーダを出した。沙季は勤務を終え、制服を脱いでから客席に座った。自分で代金を払い、アクリルスタンドを机へ置く。
写真を撮り、「桜前線遅延中」で初めて店を紹介した。店員であることも明記し、良い点だけでなく、階段が急なことまで書いた。
投稿後、店主がカウンターから「レビューありがとうございます」と頭を下げた。
沙季も客として頭を下げた。二つの立場は混ぜずに、同じ一杯を挟んで向かい合えた。