雨傘の住所
帰宅したとき、濡れた傘を置く場所がなかった。
玄関は靴を二足並べればいっぱいになる。傘立てを置く幅はなく、壁に立てかけると水がクロスを伝う。浴室へ持っていけばいいのだが、今夜はシャワーも浴びたい。ベランダは物干し竿まで屋根が届かず、外へ出せばさらに濡れる。折り畳み傘なら鞄に収まったのに、朝の私は天気予報を見て長傘を選んだ。
金曜の二十一時、外はまだ強い雨だった。コンビニの袋も、コートの肩も、前髪も濡れている。私は傘を閉じたまま玄関に置き、まず靴を脱いだ。先端から落ちた水が、たたきに小さな池を作った。
一人暮らしを始めたとき、この部屋は必要十分だと思った。ベッドも机も入る。台所も浴室もある。けれど、雨の日の傘や、届いた段ボールや、乾ききらない洗濯物には、間取り図に住所がなかった。物が増えたのではなく、暮らす日が増えるたび、天気や季節の持ち物が部屋へ訪ねてくるのだと思った。
古いフェイスタオルを床へ敷き、傘をその上で広げてみる。玄関の扉が開かなくなった。半分閉じると、今度は濡れた布同士が重なる。
私は傘を浴室へ運んだ。浴槽の中で開き、シャワーカーテンのように斜めに立てる。青い傘が小さな浴室のほとんどを占めた。
シャワーは諦めようかと思ったが、汗と雨で首筋が冷えていた。私は傘を半分だけ閉じ、浴槽の端へ寄せた。その横に立って、できるだけ傘へ湯をかけないよう体を洗う。
途中で肘が当たり、傘がばさりと開いた。狭い浴室に音が響き、私は思わず笑った。誰にも見せられない光景だったが、誰も見ていないから困らなかった。
シャワーを終えると、傘の水滴は浴槽の底へ落ちていた。玄関の池はタオルが吸っている。部屋は片づいていないし、傘立ても増えていない。
私はコンビニの袋からおにぎりを出し、浴室の扉を少し開けたまま食べた。青い傘が、そこで静かに乾いている。
今夜だけ、浴槽を傘の住所にする。暮らしのものには、毎日同じ場所がなくてもよかった。