雪明かりの変換候補
最終バスまで、あと十分だった。
智希と乃々花は、雪の積もる停留所で二人きりになった。高校の同窓会を抜けた時間が同じだっただけで、待ち合わせたわけではない。
「東京、戻るの」
「明日の朝」
「そう」
十年前、智希はこの停留所で乃々花に告白した。二人で使っていた赤い手袋を片方ずつ持ち、「返事は卒業式で」と冗談めかして言った。彼女は何か言いかけ、結局うつむいた。沈黙を答えだと思った智希は、手袋を返さないまま東京の大学へ行った。
乃々花は古い折り畳み携帯を取り出した。同窓会で、当時の写真を見るために持ってきたらしい。電池を入れ直すと、メールの下書きが開いた。
〈すき。声で言えるまで、待って〉
宛先は智希。作成日は、告白された夜。変換途中のひらがなが、十年経っても残っていた。
「送らなかったんだ」
「送信を押すとき、手が震えて」
「俺は、嫌われたと思った」
「私は、返事を急かされなかったから、待ってくれてると思った」
「卒業式、探した」
「私も。あなた、先生に呼ばれて先に駅へ行ったって」
「一本早い電車に乗った」
数十分のずれが、十年分の距離になっていた。
乃々花は昔から、強く緊張すると声が出なくなった。智希は知っていた。それでも、自分が傷つかない解釈を選んだ。
バス接近の表示が点灯する。残り六分。
「今なら言える?」と智希が聞いた。
乃々花は白い息を吐き、ゆっくり口を開いた。
「すき、だった」
過去形だけは、途切れずに出た。
智希はコートのポケットで、婚約指輪の箱に触れた。来月、東京で別の人に渡すものだ。乃々花の視線が、その膨らみに止まる。
「送ってほしかった」と智希は言った。
「待ってほしかった」と乃々花が答えた。
バスのヘッドライトが雪を照らす。十年分の真実が届いたのに、停留所にはあと一分しかなかった。
乃々花は下書きを削除し、古い携帯を閉じた。コートのポケットから片方だけの赤い手袋を出し、智希へ差し出す。智希も同じ色の片方を持っていたが、見せずに奥へ押し込んだ。智希は何も言わず、一枚だけ残っていた整理券を取る。
扉が開く。
智希は最終バスに乗り、窓越しに乃々花が小さく手を振るのを見た。