青い切手の返事
弟は若い頃、海外の料理学校へ行きたがっていた。
父が倒れ、家の食堂を手伝う人が必要になったとき、私は「今だけ残って」と頼んだ。
今だけは二十年になった。父は亡くなり、食堂も閉じた。弟は会社員になり、料理の話をしなくなった。
片づけ中、青い鳥の古い切手を見つけた。
封筒へ上下逆さに貼って投函すると、行かなかった世界から返事が来た。
半信半疑で書いた。
「そちらでは、料理学校へ行きましたか」
三日後、同じ青い切手の封筒が届いた。
「行った。港町で店をしている。父の最期には間に合わなかった。姉とは十年話していない」
向こうの弟の字だった。
私はまた書いた。
「夢はかなった?」
「半分。店は小さい。借金は大きい。父の煮込みよりうまいものは作れない」
「後悔してる?」
返事は長く来なかった。
その間、今の弟が食堂の最後の鍋を捨てに来た。
会社の話しかしない。私は切手のことを言えず、二人で焦げを削った。
一週間後、返事が届いた。
「後悔は、選ばなかった方にだけ生える草じゃない。こちらにも毎年生える。抜きながら店を開けている」
封筒には、港町の献立が入っていた。
父の煮込みと同じ名前。その下に小さく、
「姉が怒るので、味は変えてあります」
と書かれている。
私は手紙を今の弟へ見せた。
冗談だと思われるかと思ったが、弟は献立を長く見つめた。
「向こうの俺、字が汚いな」
「同じだよ」
「店、続いてるんだ」
その声だけ、若い頃に戻った。
私は二十年前のことを謝った。
弟はすぐ許さなかった。
「姉ちゃんだけのせいじゃない。俺も残る方を選んだ。でも、頼まれたことを言い訳にしてた」
二人とも、別世界の自分と同じだった。
弟は週末、父の鍋で煮込みを作った。
味見をすると、父より辛く、少し酸っぱい。
「変えすぎ」
「向こうの俺も、姉が怒るって書いてたろ」
閉店した食堂を一日だけ開け、近所の人へ振る舞った。
青い切手で最後の手紙を出した。
「こちらでも、店を一日開けました」
返事はなかった。
代わりに、封筒の隅から香辛料の匂いがした。
弟は翌年、会社を辞めずに週末の料理教室を始めた。
失った二十年は戻らない。それでも夢は、出発した人だけが持てるものではなかった。
残った場所からでも、少し遅い旅は始められた。