魚定食を自分で頼む
家族で入った食堂で、父はメニューを開く前に言った。
「葉月は煮込みハンバーグでいいな」
店員が注文端末へ指を置く。母も「この子、昔からそれしか食べないんです」と笑った。
葉月は卓上のメニューを自分の前へ引いた。
「焼き鯖定食にします」
父が聞き返す。「魚、嫌いだったろ」
「今は好き」
「骨が面倒だぞ。ハンバーグにしなさい」
父の口調は、提案ではなく注文の訂正だった。帰省すると必ずこの食堂へ来て、同じ席に座り、父が三人分を決める。葉月は食べられないわけではないから、毎回そのまま頷いていた。
「焼き鯖定食、ご飯少なめで」
店員にもう一度伝える。
父は不機嫌そうに端末を見た。「家族で来て、わざわざ別のものを頼むことないだろ」
「お父さんもお母さんも、別のものを頼んでるよ」
「そういう意味じゃない」
料理が届くまで、父は町の再開発の話を続けた。母は葉月の皿を見て、「骨、取ってあげようか」と箸を伸ばした。
葉月は皿を少し手前へ引く。
「自分でできる」
鯖の皮は薄く焦げ、箸を入れると脂がにじんだ。一本目の骨を外し、小皿の端へ置く。父はそれをじっと見ていた。
会計のとき、葉月は自分の伝票札を取った。
「今日は私の分を払う」
「親と飯を食うのに水くさい」
「払ってもらうと、注文まで決められた気になるから」
父は何も言わず、札から手を離した。
レジで二枚のレシートが出た。母が「次は何を食べるの」と尋ねる。
「そのとき決める」
店の外は夕方の匂いがした。父は先に歩き、母は葉月の隣に並んだ。
駐車場へ着く前、父が振り返らずに『鯖、うまかったか』と聞いた。葉月は『うん』と答える。『骨は取れたか』には、『全部自分で取った』と返した。父は褒めも謝りもせず、『次は俺も魚にするかな』と言った。葉月は勧めなかった。次に何を選ぶかは、父の分まで決めることではなかった。それでよかった。
葉月は自分のレシートを財布へ入れた。薄い紙一枚ぶんだけ、次の食卓へ持ち込む役割が軽くなった。