鯨歯は裏を向く

タウマ・レオの胸で、白い鯨歯が逆さに揺れていた。

表には波と祖先の顔。裏には細い傷が並ぶ。傷は文字だが、すべて左右を逆に彫ってある。直接見れば、子供の悪戯にしか見えない。水面へ映した時だけ、〈干潮、黒礁の東を通れ〉と読める。

島砦を囲む敵艦は、珊瑚礁の切れ目を知らない。夜半の干潮に味方の舟を通すには、砦の海門へ道を知らせる必要があった。

タウマは中立島の弔使を装い、戦死した敵将の骨を返す交渉へ入った。敵首長マケ・ロアは骨袋より鯨歯を見た。

「その歯を外せ」

「弔使から首飾りを取れば、海が船を返さなくなる」

「海は私の船を返してきた」

「返したのは、まだ欲しいからだ」

マケは鯨歯を引きちぎった。紐が首を焼き、皮が裂ける。

首長は表の彫りを読み、裏返した。逆文字の傷を指でなぞる。

「暗号か」

「母の名です。母は字を知らなかったので、私も正しく彫れなかった」

マケは水盤を持って来させた。

タウマの心臓が一度だけ強く打った。水へ映せば終わる。

だが首長は鯨歯ではなく、骨袋を水へ沈めた。骨に毒や紙を仕込んでいないか調べたのだ。脂が浮き、腐った匂いが広がる。

「歯は戦利品にする。弔使は砦へ返せ」

計算が外れた。密書は敵の胸に残る。

タウマは海門へ向かう舟の上で、監視兵の腰に下がった鯨歯を見た。舟が砦の内湾へ入る直前、わざと身を投げた。監視兵が槍で引き上げようと屈む。タウマは紐を掴み、鯨歯だけを海へ落とした。

「首長の戦利品だぞ」

兵は罵り、網で歯を拾わせた。

監視兵はタウマの首の傷へ塩を擦り込み、二度と戦利品へ触れるなと言った。タウマは答えなかった。逆文字を彫ったのは、幼い妹だった。正しく字を刻めず泣いた妹へ、海に映せば正しくなると教えた。その嘘が十年後、島を救う読み方になった。

海門番のセイラ・ヌイが網を受け取る。濡れた鯨歯は水桶の中で裏を向き、正しい文字を映していた。

タウマは舟底へ押さえつけられたまま笑った。

セイラが礁見へ叫ぶ。

「黒礁の東へ、道旗を上げろ」

二本の白旗が、暗い海面に立った。