鰓を乾かさない霧の客室
水棲族ダグノの鰓は、陸の夜を嫌った。
昼間は首巻きの保湿布で耐えられる。だが眠ると呼吸が深くなり、乾いた空気が鰓を裂く。桶に浸かれば身体が冷え、馬槽を借りれば家畜扱いされた。砂漠迷宮へ向かう前夜だというのに、彼は三日まともに眠っていなかった。
宿《雨壺》の主人セアラは、濡れた首巻きを見て一室だけ空けた。
「霧の客室です。水に入らず、鰓だけを潤す一泊」
「床を腐らせるぞ」
「腐らない床だから商品にしています」
扉を開くと、室内は薄い朝霧で満ちていた。石の寝台はひんやりしているが濡れておらず、壁の細孔から粒の細かな水が絶えず漂う。床には一滴も溜まらない。
ダグノは首巻きを外した。
乾いて赤くなった四本の鰓が開き、霧を吸う。最初の呼吸で肩が下がり、二度目で指の水かきが緩んだ。
「海の中ほど重くない」
「陸の部屋ほど乾いていません」
「中途半端だな」
「眠るには、ちょうどいい中途半端です」
彼は笑い、石の寝台へ横になった。
壁の細孔は、彼の呼吸が速くなると霧を増やし、落ち着くと弱めた。海の塩気ではなく、山の湧き水の匂いがする。故郷の再現ではないからこそ、陸で生きるための部屋になっていた。
夜、霧は呼吸のたび濃くなり、吐く息のたび薄くなった。水音も波もない。それでも鰓は閉じず、身体は溺れも渇きもしない。ダグノは初めて陸上で、朝まで一度も目を覚まさなかった。枕元に置いた保湿布は、畳まれたまま乾ききらず、出番を待たずに朝を迎えた。
起きると、裂けていた鰓の縁が柔らかな青へ戻っていた。首巻きを使わず廊下へ出ても、咳は出ない。
「砂漠へ七日行く」
「お気をつけて」
「帰った夜も、この霧をくれ」
料金の銀貨二枚に、帰還日の予約金を重ねる。さらに彼は貝殻の留め具を一つ置いた。
「水棲族が陸で眠れた印だ。捨てるな」
乾いた街道へ出る背中は、もう水桶を引きずっていなかった。
セアラが霧の濃さを戻した直後、階下のベルが鳴った。雨壺は次の客へ、静かに口を開いた。