A判定を隠した日

模試の結果を、私は机の奥へ隠した。

東京の第一志望はA判定。

クラスメートなら喜ぶ数字だった。

けれど私は、地元の短大へ進むつもりだった。

放課後、友人が勝手に机を動かし、結果表を見つけた。

「Aじゃん」

声が教室に響いた。

周りが集まり、「東京行けるね」「すごい」と騒いだ。

私は結果表を奪った。

「行かない」

「何で?」

友人の問いに答えられなかった。

家には、学校へ行けなくなった弟がいる。

母は仕事で帰りが遅く、私が夕食を作り、弟の話を聞く。私が東京へ行けば、弟は一人になる。

その事情を知らない友人は言った。

「もったいない。短大なんていつでも行けるでしょ」

私は教室を出た。

翌日から、友人を避けた。

数日後、弟が学校へ来た。

担任と話すため、母に連れられて中学ではなく私の高校へ寄ったのだ。廊下で友人と会い、弟は私へ抱きついた。

事情を察した友人は、その日の放課後、謝った。

「何も知らずに言った」

「言ってない私も悪い」

「東京、行きたい?」

私はうなずいた。

「でも、弟を置いていけない」

友人はしばらく考えた。

「弟くんは、置いていかれるって言った?」

聞いていなかった。

その夜、弟に進路の話をした。

「姉ちゃんがいるから学校へ戻れる」と言われると思っていた。

弟は怒った。

「僕のせいで行かないの?」

「せいじゃない」

「同じだよ」

泣きながら、自分も高校へ行けるようになりたいから、私も行きたい大学へ行ってほしいと言った。

その言葉を、そのまま受け取ることもできなかった。

弟が無理をしているかもしれない。

家族で話し合い、相談員や親戚にも頼ることにした。私が担っていた役割を、少しずつ分けた。

上京を決めても、不安は消えなかった。

合格発表の日、弟からメッセージが来た。

『受かった?』

『受かった』

『じゃあ僕も明日、一時間目だけ行く』

私は画面を見て泣いた。

新学期、弟は毎日通えるようになったわけではない。

私も東京で何度も帰りたくなった。

A判定は、未来を保証する数字ではなかった。

ただ、家族のために自分の可能性を隠すことと、家族と一緒に方法を探すことは違う。

机の奥から結果表を出した日、私たちはそれを知った。