『コードネームの領収書』

蓮見透子は退職面談で、三枚の領収書を前にしていた。

高級料亭、二名、合計十二万円。経費申請の目的欄には「白鷺案件」とだけあり、顧客名も議事録もない。上司は私的な会食を会社へ請求したと判断し、返金と自主退職を求めていた。

「私用ではありません」

蓮見は言った。

「ただ、相手の名前は話せません」

「退職してまで守る相手ですか」

人事責任者の桂木尚が尋ねた。

「秘密保持の約束です」

桂木は申請履歴を開いた。提出時には「白鷺案件・事前承認済み」とあったが、翌週、部長のIDで「事前承認済み」の文字が削除されている。部長は、蓮見が後から言い逃れの文言を足したと主張していた。

「承認メールは?」

「削除しました。案件終了後、痕跡を残さない指示でした」

同席した法務担当は、それでは証明できないと言った。

桂木だけが、白鷺の意味を知っていた。半年前、取締役による談合疑惑を調べるため、外部調査官との接触役を蓮見へ依頼したのが彼だった。自分の関与さえ社内に残さない極秘案件で、料亭は調査官が指定した場所だった。

桂木は会議室予約の隠し分類を表示した。通常画面では空白だが、監査用ログには「白鷺・桂木承認」と残っている。予約時刻は領収書の日付と一致していた。さらに料亭の領収書番号は、桂木が調査官から受け取った報告書の管理番号にも記載されている。

「この会食を私用と報告した部長は、白鷺案件の調査対象でした」

桂木が言うと、法務担当が息をのんだ。

部長は自分への調査を知り、蓮見を先に辞めさせようとしていた。経費申請の文言を削除し、架空請求という形に変えたのだ。

蓮見は桂木を見た。

「秘密を明かしてよかったんですか」

「守るべき秘密は、あなたの退職理由ではありません」

桂木は退職届を領収書の下から抜き取り、返却印ではなく無効印を押した。

「受理しません。今日退職手続きに入るのは、あなたではなく部長です」