〇・一パーセントの口紅
化粧品会社の特許実施契約会議で、筑紫野芹は原料メーカーの処方助手として出席した。落ちにくいのに乾燥しない口紅は、芹が植物由来乳化剤を〇・一パーセント加えた試作から生まれた。
完成品メーカーは、商品企画部長の単独発明だとして出願していた。原料メーカーには「配合支援」に対する一パーセントのロイヤルティだけを払い、発明者名は認めない契約だった。
企画部長の発明面談記録には、四月三日午前十時、「乳化剤〇・一パーセントで光沢値八十二」とある。
芹は試験台帳を開いた。〇・一パーセントの試作が初めて作られたのは四月三日午後二時。光沢値八十二が測定されたのは三時十二分だった。午前十時には、原料もまだ完成品メーカーへ届いていない。
企画部長は、理論計算で予測したと答えた。
芹はその前日に送った提案書を示した。「〇・一パーセントを起点にする」と書き、余白には誤って「光沢八二」と全角漢数字で記している。企画部長の面談記録も、数値だけ同じ全角表記だった。
配送伝票の受領印は午後一時四十一分。企画部長が午前中に実験することは不可能だ。
完成品メーカーの専務は、発明者争いで発売を遅らせれば双方が損をすると言った。
芹は一パーセントの実施料欄を指した。
「一パーセントをもらうために、〇・一パーセントを考えた人を消す契約には押せません」
原料メーカーの社長も、初めて印鑑を引いた。
企画部長は、処方の発明には市場性の判断も含まれると言い張った。芹は市場性への貢献を否定しなかった。ただ、特許請求項に書かれたのは販売戦略ではなく、乳化剤の濃度と製造順序だ。その順序は芹の試作指示書と同じで、企画会議資料には一度も記載されていなかった。
試作品の製造指示欄には、芹の手書き署名と午後一時五十八分の受付印が残っていた。
専務の前に置かれた商品化承認書は、光沢値八十二の行で閉じられた。口紅の色は会議室の試作品に残ったが、横取りされた発明の決裁だけは乾かなかった。