おにぎり一個分の帰り道

絢音は駅前のコンビニで、塩むすびを一個だけ買った。

家まで歩いて十二分。夕食用には、別に親子丼とみそ汁を袋に入れている。それでも空腹で、レジを出たところで包装を開けた。

歩きながら食べるのは行儀が悪い気がして、最初は店の脇に立った。だが、風が冷たく、誰かの自転車が何度も横を通る。絢音は一口かじり、ゆっくり歩き始めた。

今日は昼休みを取れなかった。十三時に打ち合わせが入り、終わったら電話が来て、そのまま夕方になった。鞄には朝買った栄養バーが残っている。食べる時間がなかったというより、食べると仕事が止まる気がして、後回しにした。

塩むすびは、具がない。噛むたび米の甘さと塩気だけがする。交差点で信号を待ちながら、絢音は二口目を食べた。周囲の人は誰も見ていない。見ていても、すぐ忘れるだろう。

スマートフォンが震え、上司から明日の予定変更が届いた。片手で返信しようとして、絢音はやめた。今はおにぎりを持っている。返信する手は一つしかない。

家に着くころには、包装だけになっていた。玄関で靴を脱ぎ、親子丼をテーブルへ置く。空腹の鋭さがやわらいでいる。レンジを待つ二分も、もう耐えられた。

おにぎり一個は、夕食前の余計なカロリーではなく、帰宅するまでの自分へ渡した前払いだったのだと思う。誰かに許可を取る必要も、夕食の量を減らして帳尻を合わせる必要もない。

親子丼の卵は少し固くなっていた。絢音はみそ汁へ湯を注ぎ、上司の通知を開かずに、先に一口食べた。

昼を逃した自分を責めるより、夜の自分が拾えばいい。

十二分の帰り道で塩むすびを食べたことを、今日はきちんとした判断として数えることにした。

食後、絢音は鞄から残っていた栄養バーを取り出し、机の見える場所へ置いた。明日こそ食べる、と誓うのではなく、食べられるときの選択肢として置くだけにする。

上司への返信は、みそ汁を飲み終えてから「確認しました」と一行送った。早さも気の利いた言葉も足さなかった。今夜、自分の体へ返した十二分を、仕事へ返済する必要はないと思った。