ちゃんとしない部屋
晴日の結婚式の朝、和奏は二軒の内見をした。
一軒目は駅前の新築ワンルーム。白い壁、宅配ボックス、浴室乾燥機。二十九歳の一人暮らしとして、誰に見せても安心されそうな部屋だった。
二軒目は築四十年の一軒家を改装したシェアハウス。台所の棚には名前の違うマグカップが並び、廊下に自転車がはみ出していた。住人の碧は、初対面の和奏へ「冷蔵庫のプリンには名前を書かないと消えます」と真顔で説明した。
今まで和奏は、晴日と二人で暮らしていた。大学卒業から六年。帰宅時間が違っても、鍋にはどちらかが作った味噌汁があり、洗面台には二本の歯ブラシがあった。
晴日が結婚すると決まった日、周囲は口をそろえた。
「和奏も、そろそろ一人でちゃんと暮らさないとね」
和奏自身もそう思った。シェアハウスは学生の延長に見える。知らない人と冷蔵庫を分け、風呂の順番を待つなんて、落ち着きのない選択だ。
披露宴の席で、晴日から手紙をもらった。
〈私がいなくなっても、一人で頑張りすぎないで。和奏は一人で何でもできるけど、一人でしかできないわけじゃないから〉
読み終えたところで、不動産会社から二件のメッセージが届く。
〈新築物件、申込順位一番です。本日中にご回答ください〉
〈シェアハウス、先ほど別の見学者が来ました。希望ならお早めに〉
花嫁が家族への手紙を読み始める。会場中が静かになった。
和奏はテーブルの下で、新築物件の画面を開いた。断る理由を「予算の都合」と書きかけ、消した。家賃は払える。ただ、自分が望む大人らしさではなかった。
〈今回は辞退します〉
次に、シェアハウスへ入居希望を送る。
晴日の代わりを探すのではない。新しい住人と気が合わず、半年で出るかもしれない。プリンを食べられて怒る夜もあるだろう。
式のあと、晴日に報告すると、彼女は笑った。
「一人暮らし、しないんだ」
「うん。ちゃんとしない方にした」
和奏は晴日から古い部屋の鍵を返してもらった。新しい鍵が届くまで、その一本だけを持って帰る。
空になった部屋で最後の夜を過ごすことも、次に誰かと暮らすことも、どちらも寂しさから逃げた結果だとは思わないことにした。