アーカイブの湯気
佐伯は、三年前の音声配信を聞いていた。
配信者はいまも活動しているが、その夜の回だけを何度も再生する。特別な話はない。冬の台所で湯を沸かし、最近眠りが浅いと話し、最後に窓の結露を拭く。それだけだった。
午前二時二十五分。佐伯の部屋では加湿器が低く回り、青い表示を点けている。外は雨で、ベランダの排水口を水が細く流れていた。
アーカイブの向こうで、ケトルが唸る。
三年前の湯が沸く。かち、とスイッチが切れ、配信者がカップへ注ぐ。マイクへ近づいた湯気が音になるはずはないのに、佐伯には白く見える気がした。
画面には「現在二人が再生中」と表示されていた。
同じ時刻に、もう一人がこの古い回を開いている。途中からなのか、最初からなのかは分からない。互いの名前も見えず、コメント機能も閉じられている。
佐伯は少しだけ再生位置を戻した。湯が注がれるところをもう一度聞く。もう一人も同じ音を聞いたかもしれないし、先へ進んでいるかもしれない。
配信者は三年前の声で、「眠れなくても、湯が冷めるまではここにいます」と言った。
佐伯はこの言葉が好きだった。朝まで付き合うとは言わない。寂しさをなくすとも言わない。湯が冷めるまでという、小さく終わる約束だった。
再生中の人数が一になった。
もう一人は聞き終えたのか、閉じたのだろう。佐伯だけが残る。
アーカイブが終わり、自動停止する。加湿器の水音と雨が戻った。
佐伯は台所へ行き、ケトルを使わず、水道からぬるい水をカップへ入れた。湯気は立たない。それでも両手で持つと、室温より少し温かかった。
再生履歴には同じ回が何度も並んでいた。佐伯は一つも消さないし、今夜の回へ印を付けもしない。何度戻っても、最後は自分の部屋の音へ帰ってくると知っていた。
三年前の人も、数分前までいた誰かも、今はここにいない。だからこそ、この部屋の残りは自分で引き受けられる。佐伯は空の再生画面を閉じ、カップが冷えるまで一人で座っていた。