ウニは山へ行きました

寿司店で働き始めた汐汲杏子は、昼の開店前、板長から品書きを渡された。

「今日はウニがヤマ。穴子もヤマになりそうだ」

杏子は海産物にも休暇があるのだと思った。

最初の客がウニを注文すると、丁寧に頭を下げた。

「申し訳ございません。ウニは本日、山へ出かけております」

客は箸を止めた。

「ウニが山へ?」

「板長がそう申していました。穴子も後を追う可能性があります」

隣の客が笑った。

「山ウニって、豆腐のみそ漬けのことじゃないの」

杏子は厨房へ確認した。

「ウニはどの山ですか。お客様が産地を気にされています」

板長は握りながら答えた。

「産地じゃない。ヤマは品切れだ」

店内が騒がしく、杏子には最後が聞こえなかった。

「品切れの山?」

「だから、ないんだよ!」

杏子は客席へ戻り、説明を修正した。

「ウニは、品切れ山におります。帰宅時刻は未定です」

今度は家族連れの子どもが目を輝かせた。

「ウニって歩けるの?」

「業界では歩くようです」

心配になった杏子は仕入れ先へ電話した。

「そちらのウニ、今どの山にいますか」

『積丹の海ですが』

「遭難では?」

『何の話です?』

杏子は山岳救助へ連絡すべきか板長へ相談したが、板長は握った寿司を危うく落とした。

注文が止まり、客たちはウニの登山方法について議論し始めた。子どもは紙ナプキンに、登山靴を履いたウニと、リュックを背負った穴子の絵を描いた。別の客は「下山祝いに日本酒を」と注文した。

板長はたまらずカウンターから顔を出した。

「寿司屋でヤマってのは、売り切れのこと! 山へ行ったんじゃない!」

杏子は初めて理解した。

「では穴子も、在庫が少ない?」

「そうだ。あと二本でヤマ」

杏子は客へ向き直った。

「穴子は残り二名様で登頂します」

板長がうなだれた。

その日の閉店後、板長は業界用語一覧を作って杏子へ渡した。

翌日、常連客が尋ねた。

「今日のおすすめは?」

杏子は一覧を確認し、自信を持って答えた。

「ヒラメはあります。山から下りてきました」