クレームゼロの店長
カフェチェーンの店長、向笠澄香は月次報告を見て胸を張った。
〈お客様相談室への苦情 〇件〉
「ついに完全店舗になった」
副店長が首をかしげる。
「先月、コーヒーが薄いと言われませんでした?」
「その場で解決したからクレームではない」
「椅子が硬いとも」
「感想です」
「注文が三十分来ないとも」
「待ち時間の実況です」
「分類で平和を作ってませんか」
「最強の接客は、言葉の角を取るの」
本部長が視察に来た。
「全店で唯一、苦情ゼロだ」
澄香はスタッフを並べる。
「私たちはお客様の不満を、不満になる前に受け止めます」
「具体的には?」
「笑顔で三秒、相づちを二回、最後に“貴重なご意見です”」
「返金は?」
「笑顔の後で判断します」
「三秒で?」
「判断を先延ばしにする三秒ではありません」
本部長は感動し、澄香に接客研修を任せた。
研修会で、他店の店長が質問する。
「怒鳴る客には?」
「声量の大きな意見として受け止めます」
「ネットへ書くと言われたら?」
「発信力のあるお客様です」
「二度と来ないと言われたら?」
「卒業されるお客様」
「すべて前向きに言い換えてません?」
「言葉が変われば数字が変わる」
「客の気持ちは?」
「数字の後からついてきます」
澄香は〈クレーム消滅メソッド〉を発表し、本部は全店導入を決めた。
ところが研修中、客席から男性が手を上げた。
「店の電話、何度かけてもつながらないんですが」
澄香は微笑んだ。
「ただいま多くのお客様からご支持を」
「呼び出し音すら鳴りません」
副店長が電話機を見る。
「店長、受話器の線が抜けてます」
「昨日の清掃で?」
「相談室への転送装置も、この回線です」
本部長が無言でスマートフォンを出した。
回線をつなぐと、留守番サービスから通知が一気に届いた。
〈未処理メッセージ 四十七件〉
店内に、録音された声が流れ始める。
『アイスを頼んだのに熱い』
『閉店前なのに鍵が』
『店長さんへ直接話したい』
澄香は研修資料を閉じた。
本部長が尋ねる。
「苦情ゼロの秘訣は?」
「通信遮断です」
「全店導入は?」
「おすすめしません」
完全店舗は、電話線一本で普通の店へ戻った。