シーツの海

城戸杏璃は、ベッドから古いシーツを剥がし、新しい白い一枚を広げた。

部屋の引き渡しは午後二時。亡くなった恋人の荷物は運び終え、枕も掛け布団も業者の袋へ入った。残っている作業は、備え付けのベッドを元の状態へ戻すことだけだった。けれど、ダブルサイズのボックスシーツは、広げるたび上下が分からなくなる。

杏璃はチャットで「シーツ」を検索した。出てきた音声は、恋人が入院する前、杏璃へ家事を任せた最初の週に送ったものだ。

『縫い目を見て。長い辺がベッドの長いほう。たぶん杏璃、斜めにかぶせてる』

その通り、斜めだった。部屋にはカーテンもなく、向かいのマンションの窓がよく見える。杏璃は一度すべて外し、床へ広げて縫い目を確かめる。音声の後ろでは、病院の待合室らしい呼び出し番号が流れていた。恋人は自分の番号を待ちながら、シーツの向きを説明していた。

『最初は奥の角。次に対角線。手前からやると、最後に届かなくなる』

奥の右角へゴムをかける。反対側へ回ると、最初の角が外れた。もう一度かけ、膝でマットレスを押さえながら対角へ引く。窓から風が入り、白い布が帆のように膨らみ、杏璃の顔へかぶさった。

音声の恋人が、ちょうどそこで笑う。

『今、たぶんシーツに食べられてる』

杏璃は布の下で「うるさい」と言った。返事はないが、録音の中の笑いが少し続いた。

三つ目の角をかける。最後はやはり届きにくい。無理に引くと縫い目が伸びるので、マットレスを持ち上げ、ゴムを少しずつ滑らせた。

『最後に、手のひらで真ん中から外へ。しわは完全になくさなくていい。寝たらまたできるから』

もう誰も寝ない部屋に、その言葉だけが残る。杏璃は再生を止めず、両手でシーツを撫でた。中央の大きなしわが端へ逃げ、小さなしわだけになる。

ベッドの下に残っていた髪留めが一つ見えたが、拾うのはあとにする。時計は一時四十三分。杏璃は最後の角のゴムをマットレスの裏へ深く押し込み、白い面が外れないことを確かめてから手を抜いた。