スイートルームの鍵

海辺のリゾートホテルでの同窓会で、井川直樹は高座海斗へ荷物を押しつけた。

「悪い、部屋まで運んで。ホテル勤めなんだろ?」

海斗は白いシャツに濃紺のジャケットを着ていた。昔は痩せて猫背だったが、今は姿勢がよく、穏やかな顔立ちが目を引いた。井川はそれを従業員用の制服だと思い込んだ。

「ここには仕事で来たけど、従業員じゃないよ」

「見栄張るなって。俺は会社役員。今夜のスイートも取ってある」

井川は、高校時代に海斗を“無料係”と呼び、行事の雑用を押しつけていた。今も同じように、幹事だから自分が一番上だと信じている。

チェックインカウンターで、井川は予約名を告げた。スタッフは困った顔をする。

「井川様のお部屋は一般棟のツインです。スイートのご予約はございません」

「幹事特典で変更したはずだ」

そのとき総支配人が現れ、海斗へ金色のカードキーを差し出した。

「高座会長、オーナーズスイートの準備が整いました」

海斗は大学時代に宿泊予約サービスを起業し、世界五十か国へ拡大した後、このホテルを含むリゾートグループを買収していた。保有資産は数百億円。経済誌の表紙に載った写真より、実物のほうが若く見えたため、井川は気づかなかったのだ。

井川は荷物を抱え直した。

「会長って、名誉職だろ?」

総支配人は首を振る。

「本日の取締役会で正式に就任されました。なお、井川様の会社との清掃委託契約は、品質不正が確認されたため更新しません」

井川の会社は、このホテル一社に売上の半分を頼っていた。自分がスイートを要求するため、点検前の部屋を無理に販売させたメールまで、監査で見つかっていた。

「海斗、同級生だろ。話をつけてくれ」

海斗は押しつけられたバッグを、井川の足元へ戻した。

「無料係は、もう終わったんだ」

総支配人がオーナーズスイート専用エレベーターを開く。

金色の鍵は海斗の手へ渡った。井川が最上階へ上がるために使える名前は、もうホテルのどこにも残っていなかった。