セコンドの白いタオル

第八ラウンド開始三分前、真殿勇暉はコーナーの時計を見た。巻き戻し可能回数は一。セコンドの鳥越仁が白いタオルを肩へかける。

「まだ立てる」

勇暉がリングへ戻ると、仁は興奮で脳動脈瘤を破裂させる。勝っても負けても、第八ラウンドのゴングから四十秒後に倒れた。勇暉は十回、三分間をやり直した。

早くKOすれば歓喜で倒れた。わざとダウンすると、仁はリングへ上がって怒鳴り、そのまま倒れた。医師を呼んでも「選手を不安にさせるな」と拒む。成功条件はゴングから一分後、仁が医務室のベッドにいること。

最後の試行。仁がタオルをかけ直す。

「まだ立てる」

「俺は立たない」

勇暉はリング中央のマイクを奪った。仁が対戦相手のグローブ細工を知りながら黙認したこと、自分にも違法な興奮剤を打ってきたこと、過去三試合が仕組まれていたことを会場へ告白した。

委員会が試合を止める。仁は勇暉を殴ろうとして足をもつれさせ、駆け寄った医師が瞳孔の異常を見つけた。担架が医務室へ入った時刻は、ゴング予定の一分後だった。

時計は戻らない。緊急手術で仁は生きた。

勇暉の王座は剝奪され、永久追放が決まった。仁も資格を失い、退院の日に「お前を育てた時間まで売ったな」と言った。勇暉は謝らなかった。秘密を守って二人で勝ち続ける未来こそ、最後に捨てたものだった。

手術後、仁の右手には軽い麻痺が残った。勇暉は見舞いへ行かず、治療費だけを匿名で払った。違法薬物の影響を調べるため、自分の検査結果も委員会へ提出した。過去の勝利が薬によるものか、実力だったのか、もう判定できない。ジムの子どもたちは壁から勇暉の写真を外した。彼は剥がされた跡を見に行き、サイン入りグローブも自分で持ち帰った。

タイトル戦の映像は配信停止になったが、仁が倒れるはずだった四十秒だけは勇暉の頭から消えなかった。巻き戻し装置を委員会へ渡し、再試合の提案も断った。リングへ戻れば、告白さえ勝利の演出に変わる。勇暉は初めて、自分からロープの外へ降りた。

記者会見の机には、血の一滴もついていない白いタオルが置かれていた。その下で、金色のベルトだけが隠れていた。