チェリーのない場所

佐渡原佳澄が洋菓子店「黒森」で選んだフォレノワールには、飾りのチェリーがなかった。

チョコレートの削り片と白いクリームの上に、丸い窪みだけが残っている。店主によれば、ショーケースへ移すとき落ちたらしい。

「別のを飾れますか」

佳澄が尋ねると、店主は冷蔵庫を確認した。

「同じ漬け方のものは、もうありません」

店主は窪みをクリームで埋めなかった。値札からチェリー分を引き、箱のラベルへ「飾りなし」と書く。写真映えはしないが、ケーキの味は変わらないと言った。

佳澄のスマートフォンには、婚約解消を知らせる文章が下書きされている。式場を押さえ、前撮り写真まで公開したあとだったので、友人や仕事関係者から日程を聞かれるたび、返事を先延ばしにしてきた。今朝も同僚から、式に着ていく服をもう決めたと写真が届き、画面を閉じたばかりだった。別れた理由を詳しく書けば言い訳に見え、幸せそうな写真を消せば過去まで嘘になる気がした。

会計台の横には、この店の古い商品写真が並んでいた。フォレノワールの見本には赤いチェリーが載っている。店主は購入品の箱へその写真を貼らず、無地の白い蓋を選んだ。

「写真と違うので、白い箱にします」

違うものを、同じに見せないためだった。

佳澄は店内の隅で下書きを開いた。長い説明を全部消す。

〈結婚の予定はなくなりました。心配をかけたくなくて報告が遅くなりましたが、私は生活を続けています。式のために予定を空けてくれた方、ごめんなさい〉

前撮り写真は消さなかった。投稿に新しい写真も添えない。白い画面に文章だけを載せ、公開範囲を友人までにして送信した。

すぐに何件か通知が来たが、佳澄は開かず、箱を持って店を出た。

帰宅後、窪みのある場所からフォークを入れる。チェリーがなくても、そこには空白の形が残っていた。埋めなくても、隠さなくても、一切れは一切れとして皿の上に立っている。

佳澄は通知を一件ずつ開いた。返事は今夜でなくてもよかった。