ノイズ除去禁止
峯岸トワの古いテープは、ノイズを消すほど存在しない歌詞がはっきりした。
音源修復を請け負った庄司克己は、二十年前の四トラックテープを一人で再生した。トワは活動休止後に行方不明となり、昨年ようやく山中で遺骨が見つかった。
曲の末尾、シンセが消えたあとに擦過音が残る。磁性体のざらつき、遠い車の音、誰かの袖が床を擦る音。再生ヘッドが回るたび、錆びた鉄と古い埃の匂いまで蘇る気がした。修復ソフトがそれを人声と判定し、歌詞欄へ出した。
〈消さないで〉
克己は誤認だと笑った。
新人だったトワは、荒い録音を好んだ。克己が息や衣擦れを切るたび、ミキサー越しに怒った。
「消さないで。そこも私の音だから」
しかし売れる音には邪魔だった。克己は彼女の反対を無視し、整え、薄め、最後には名義まで自分のものにした。
行方不明の夜も、このスタジオで口論した。トワが原本を持ち出そうとしたため、克己は腕を掴んだ。転倒した彼女は頭を打ち、動かなくなった。機材車で山へ運び、録音中だったテープだけを棚の奥へ戻した。翌週、克己はテープが劣化して使えないと事務所へ報告し、トワが金を持って逃げたという噂を流した。作品から彼女の息を消したように、業界の記憶から本人まで消せると思った。
克己はノイズ除去を強くする。擦過音が、先ほどの言葉へ近づく。
さらに処理すると、床を引きずる音、克己の荒い呼吸、車の鍵が鳴る音まで現れた。歌声ではない。倒れたトワが、まだ意識のあるうちに絞り出した言葉だった。
克己は元データを削除しようとする。画面に警告が出る。
〈原音は保存者の指定により消去できません〉
テープをデジタル化した瞬間、依頼元の捜査機関へ複製が送られていた。修復は、犯人にしか分からない音を確認させるための作業だった。
最後の再生で、トワの声が最も近くなる。
「消さないで」
それは作品の質感を守ってほしいという、若い歌手のこだわりではなかった。
自分が生きていた最後の音を、証拠ごと葬るなという命乞いだった。