ベランダの避難袋

和泉雄大の荷物は、ベランダにまであふれていた。

折り畳み椅子、寝袋、非常食、携帯コンロ、十リットルの水。消防設備点検の通知が来ても、雄大は避難梯子の上に積んだ箱をどけなかった。

「火事のとき死ぬぞ」

篠宮玲司が言う。

「これがあれば生きる」

「梯子が開かなきゃ一階へ降りられない」

「階段を使う」

「階段が燃えてたら?」

「燃えないようにすればいい」

雄大は三年前の豪雨でアパートを失った。避難所から転々とし、このシェアハウスへ来た。常に一人で逃げられる量の備蓄を持ち、共有物には頼らない。

点検前夜、玲司は住人全員をベランダへ集めた。

「捨てろとは言わない。分類する」

期限切れ、重複、濡れた物。雄大が一本ずつ確認し、玲司が表へ書く。携帯コンロは四台、乾電池は百本以上あった。住人たちは茶化さず、必要数を計算した。

「七人なら、水は一日二十一リットル」

雄大が言う。

「三日で六十三」

「お前の分だけじゃないのか」

「計算しただけだ」

皆で物置を空け、備蓄棚を作った。誰かの古いスーツケースや壊れた扇風機を処分し、箱を種類別に並べる。雄大は自分の名前が書かれた水を、何度も棚へ置きかけて戻した。

玲司は避難袋を七つ用意した。中身は最低限。雄大の袋だけ重くなりすぎると、黙って缶詰を抜いた。

「勝手に減らすな」

「お前が背負えなきゃ、誰かが持つことになる」

「頼まない」

「置いて逃げるなら、最初から共同棚へ置け」

雄大は反論し、最後には黙った。缶詰を七袋へ均等に分ける。

深夜、避難梯子の蓋がようやく見えた。玲司が開閉を試すと、錆びて途中で止まる。雄大は工具を持ち出し、潤滑油を差した。七人で順番に踏み板へ体重をかけ、動きを確かめた。

点検当日の朝、ベランダには椅子が一脚だけ残っていた。雄大が雨の日に外を眺めるための物だ。避難経路から外れた壁際へ固定されている。

共同棚の上段には七つの避難袋が並び、雄大の名字はどこにもなかった。代わりに各袋へ部屋番号が書かれ、空いている一袋には〈来客用〉とある。

雄大は自分の水筒を満たし、余った水を共同タンクへ注いだ。ベランダの鍵を閉める前、椅子を一人分だけずらし、隣にもう一脚置ける幅を空けた。