ポケットの小さな貝殻
紗良のベッドには、黒いワンピースが広げられていた。
母の妹の三回忌で帰省した朝だった。襟元に小さなリボンがあり、腰には細い布ベルトがついている。高校生のとき、法事のたびに着せられた服だ。
「まだ入ると思うの」
母は黒いストッキングまで揃えていた。
「自分のスーツを持ってきたよ」
紗良が鞄から黒いパンツスーツを出すと、母は眉を寄せた。
「女の子が法事にズボンなんて。親戚に何を言われるか」
「二十六歳を女の子って呼ばないで」
「こういう日は、目立たない格好をするものよ」
母はワンピースを持ち上げ、紗良の身体に当てた。甘い防虫剤の匂いがする。布越しに測られると、今の身体まで昔の輪郭へ押し込まれるようだった。
紗良は一歩下がった。
「その服では行かない」
「叔母さんに失礼でしょう」
「何を着て悼むかは、私が決める」
母の指がベルトを強く握った。「親戚の前で恥をかくのはお母さんなの」
「お母さんの恥を隠すために帰ってきたんじゃない」
言葉が部屋に落ち、二人とも動かなかった。
やがて紗良は自分のスーツへ着替えた。ジャケットのポケットには、叔母から昔もらった小さな貝殻を入れる。誰にも見えない。けれど、リボンよりずっと自分の弔いに近かった。
鏡の前で襟を整えていると、母が無言で粘着式の埃取りを差し出した。
紗良は受け取り、肩の白い糸くずを取る。
「ありがとう」
「帰ったら、その服、クリーニングに出しなさい」
「自分で出す」
母は黒いワンピースをハンガーへ戻した。許した顔ではなかった。それでも、もう紗良の身体には当てなかった。
母はハンガーの黒いワンピースを衣装袋へ戻し、ファスナーを上まで閉めた。『これは残しておくから』と言う。紗良は『残すのはお母さんが決めて。着るのは私が決める』と答えた。母は衣装袋を自分の箪笥へ運び、もう紗良の鞄には入れなかった。
玄関で靴を履き、紗良はスーツのポケットを確かめた。貝殻の角が指に触れる。
母の選んだ形ではなく、自分で選んだ喪失を持って、紗良は先に扉を開けた。