マッチ期限、残り十分

二十三時五十分。上條壮一は駅前カフェで、梅原野乃とのマッチ期限を見つめていた。残り十分。向かいの席に本人がいるのに、二人はアプリの画面だけで話している。

八年前、卒業式の夜に一度だけキスをした。野乃がすぐ顔を背け、壮一は拒まれたと思った。翌朝から連絡を減らし、友人ですらなくなった。

今夜マッチした野乃の写真には顔がなく、古いインスタントカメラだけが写っていた。二人で半分ずつ金を出したものだ。待ち合わせ場所へ来て初めて、互いに相手だと分かった。カメラには撮り切れなかったフィルムが一枚残り、壮一は次に会えたとき使おうと保管した。野乃も同じ理由で返してと言わなかった。二人とも再会を望みながら、相手が望んでいない証拠として沈黙を数えた。アプリの自己紹介にも、壮一は〈会話はゆっくり〉、野乃は〈言葉にする人〉と書き、互いに正反対の希望を掲げていた。

〈声で話す?〉と野乃が送る。

〈もう少し、このままで〉

壮一は逃げた。文字なら、八年間の空白を冗談で埋められる。

〈あの日、嫌だった?〉

〈昔のことだろ〉

〈そうだね〉

画面の向こうで、野乃が唇を噛んだ。彼女は零時の夜行バスで町を離れる。転職先は聞いたことのない遠い県だった。

残り三分。店員がカメラケースの内側から、一枚の写真を見つけた。卒業式の壮一が写り、裏に野乃の字がある。

〈嫌で離れたんじゃない。好きすぎて、次に何を言えばいいか分からなかった〉

八年前、彼女は写真を渡そうとしてケースへ入れ、壮一が先に持ち帰った。フィルムの仕切りに挟まり、今日まで見つからなかった。

壮一は〈俺も好きだった。今も〉と打つ。送信ボタンへ指を置いた瞬間、零時になった。

〈マッチの有効期限が切れました〉

野乃は画面を伏せ、立ち上がった。壮一と目が合う。声にすれば間に合う距離だった。それでも、八年かけて身につけた臆病さが喉を塞いだ。

夜行バスの灯が窓を横切る。壮一は未送信の告白を消し、マッチングアプリを削除した。