一株十万円の親会社

フィンテック企業「ペイグレイン」への出資委員会で、鴨志田優成は企業ベンチャー部門の若手担当だった。出資額は三十億円。資金使途は新決済基盤の開発と、地方採用百人分の人件費とされている。

契約書の別紙に「戦略資産取得費 十二億円」とだけあった。優成が内訳を求めると、創業者は決済特許を持つ親会社の株式一万二千株を取得すると説明した。一株十万円。

親会社の直近純資産は一億二千万円。発行済株式は一万二千株だから、一株当たり一万円だった。買収価格だけが十倍である。

「特許価値を含む」と創業者は答えた。

優成は特許台帳を確認した。対象特許はすでにペイグレインへ無償実施許諾され、親会社の売上もゼロ。株式を高値で買う経済的理由はなかった。

さらに親会社の全株式を持つのは創業者の父。株式譲渡契約書には、投資実行の十分後に十二億円を送る予約時刻まで記されている。出資金の四割が、その日のうちに親族へ流れる設計だった。

創業者は、親会社を統合すれば企業価値が上がると主張した。

優成は投資家向け説明資料を開いた。「関連当事者への資金移動なし」と創業者の署名がある。署名時刻は株式譲渡契約を結んだ翌日だった。

部門長は、創業者一族の整理に必要な費用だと優成を制した。優成は一株一万円の評価書と十万円の契約書を並べた。

「整理ではなく、投資家のお金で身内の株を十倍にしています」

優成は株式評価を依頼した会計士へ連絡した。会計士が算定したのは一株一万円で、十万円へ修正した書面には署名していないという。修正版の署名画像は旧評価書から複写され、日付だけ投資委員会の前日に変えられていた。

親会社の父親はオンラインで呼ばれ、十万円という価格は創業者から指定されたと認めた。十二億円のうち十億円を、個人の住宅ローンと別会社の債務返済へ使う予定まで書面に残っていた。

委員長が三十億円の承認書から実印を引いた。一株のゼロが一つ増えた場所で、出資金は親会社へ届かなくなった。