一番高価な日

村雨誠吾は毎朝、《メモリーバンク》の残高を確認する。記憶の保管料を三か月滞納すると、感情価値が最も高い一件が競売にかけられる。落札者へ原本が移り、元の持ち主は思い出せなくなる。それが債権回収の規則だった。

誠吾は母の和花が残した記憶を保管するため、自分の契約を後回しにしていた。母は難病で長く入院し、最期の一年だけでも膨大な保存料がかかった。眠れない夜には、母が残した料理の失敗談を再生した。笑い声が続く限り、死が確定しない気がした。仕事を二つ掛け持ちして払ったが、葬儀代と家賃が重なり、三か月目の期限を越えた。

競売に出るのは、自分の記憶一件だけ。誠吾はそう言い聞かせた。

端末には候補が表示されない。本人が価値を下げるため再生するのを防ぐためだ。落札後に題名だけ通知される。

昼休み、決済音が鳴った。

〈競売が成立しました〉

〈落札額:八万四千円〉

〈移管記憶:四月十二日、病室での最終面会〉

誠吾は立ち上がった。母の記憶契約ではない。自分の側から見た、母との最後の時間だった。

再生を押しても、灰色の画面しか出ない。病室へ行った事実は予定表に残っている。花を買った領収書もある。だが、母が何を言い、自分が何を答えたのか分からない。

落札者は匿名だった。

その夜、知らないアカウントから音声が届いた。

『お母さまは、最後にこう言っています』

男の声が、和花の言葉を読み上げた。

『誠吾、生まれてきてくれてありがとう』

続いて価格表が表示された。

〈原記憶の一時視聴:一回一万二千円〉

〈感覚情報つき:二万八千円〉

〈本人の感情反応を含む完全版:五万円〉

落札者は記憶仲介業者だった。死別した家族の最終会話を買い取り、元の持ち主へ再販売している。

誠吾は完全版を選んだ。残高不足だった。

代わりに、新たな担保設定の画面が開いた。

〈次回競売候補を提供することで視聴できます〉

候補欄には、《母と初めて会った日》と表示されていた。

それが自分の誕生日だと理解するまで、少し時間がかかった。