三階非常口
三階非常口は、誰のカードでも警報が鳴るはずだった。
片桐津奈美監察官は、閉庁後の庁舎で扉を押した。けたたましいベルが響き、守衛室の表示灯が赤く点滅する。半年前、岩室彰子巡査部長はこの扉から非常階段へ出て、踊り場から転落した。自殺と結論づけられたが、彼女はその日の午後、上司による証拠隠滅を監察へ申告していた。
立会人の蒲生直久署長がベルを止めた。
「当夜も鳴った。岩室は動揺していて、誰も間に合わなかった」
「守衛日誌に警報の記録がありません」
「書き忘れだ」
津奈美は制御盤から履歴を出した。当夜二十一時六分、警報機能は管理者カードで四分間だけ停止されている。使用者番号は署長用のものだった。その二分後、扉が開き、二十一時十分に警報が復帰していた。
「カードは机に置いていた。誰でも使えた」
「指紋認証も通っています」
蒲生の顔から表情が消えた。
非常階段の踊り場には、岩室の靴跡のほか、当時は採取されなかった大きな擦過痕が残っている。壁の塗料を削り、津奈美は蒲生の制帽箱に付いた白い傷と色を比べた。同じ灰白色だった。踊り場の手すりには、制帽の金属章と同じ真鍮粉も残っている。蒲生の制帽からは、その金属章だけが新しい物へ交換されていた。
「彼女をここへ連れ出したんですね」
「話をしただけだ」
蒲生は低く答えた。
「申告を撤回させようとした。揉み合いになり、勝手に落ちた。事故だ」
「事故を自殺にした」
「署員を守るためだ。彼女の申告は、組対課の情報源を法廷へ出す内容だった。公表すれば協力者が殺される。岩室一人の名誉と、今生きている者の命、どちらを選ぶ」
内線で、監察室長が検証の打切りを命じた。
津奈美は蒲生の管理者カードを制御盤から抜いた。職務上必要な物を持ち出せば、自分が処分対象になる。
「そのカードを戻せ」
彼女は答えず、カードと塗料片を同じ証拠袋へ入れた。袋の事件名欄に、消されていた文字を書き直す。
――岩室彰子転落死・再調査。
封をした瞬間、非常口のベルがもう一度鳴った。