二十五年待ちの靴
神代谷玲真の店には、古い靴ばかり並んでいた。
磨き直し、底の張り替え、破れた革の縫い合わせ。婚約者の二階堂森瑠衣佳は、店へ入るたび顔をしかめた。
「惟人さんは世界的ブランドの経営企画よ。玲真みたいに、他人の靴底を触って一日を終えない」
宝生院惟人は、自社ロゴ入りの革靴を机へ載せた。
「職人は腕があっても、ブランドを持つ人間には勝てない。瑠衣佳には経営者側の暮らしが合う」
玲真は婚約指輪を受け取り、惟人の靴を見た。
「その靴、踵が三ミリずれてる。長く履かないほうがいい」
二人は負け惜しみだと笑った。
翌月、国際服飾展で新しい注文靴ブランドが発表された。王族、俳優、スポーツ選手が客席に並び、初年度の予約枠は開場前に完売していた。
デザイナーとして登壇したのは玲真だった。
彼は修理屋ではなく、紹介制の注文靴工房を世界五都市に持つ創業者だった。既製品の故障を学ぶため、祖父の小さな修理店にも立っていた。ブランド株式はすべて本人が所有し、一足の価格は数百万円。新規注文は二十五年待ちだった。
瑠衣佳は席を立つ。
「だったら、なぜ私の靴を一度も作ってくれなかったの?」
「結婚式の日に渡すつもりだった」
玲真の隣には、瑠衣佳の足型から作った木型が置かれていた。だが製作は中止され、若手職人の教材へ回されることになった。
惟人は、自分がブランド経営を教えたと主張した。
服飾会社の会長が彼の靴を確認する。
「これは試作品を無断で持ち出したものだ。顧客リストを使って神代谷氏の取引先へ営業した件も調査済みだ」
惟人は懲戒解雇され、情報持ち出しの損害賠償を請求されることになった。履いていた試作品も回収された。
瑠衣佳が玲真へ手を伸ばす。
「私なら、経営者の妻としてあなたを支えられる」
「修理屋の妻では嫌だったのでしょう?」
世界各地の顧客名が予約画面へ並び、二十五年先の最後の一枠まで埋まる。
惟人が靴を脱がされ、瑠衣佳の木型が棚から下ろされた瞬間、二人が靴底の下と見下した玲真の仕事だけが、世界の頂点で待たれるブランドになった。