二月三十日の姉

家族の共有カレンダーに、存在しない日付があった。

二月三十日。

そこへ毎年、知らない予定が並んでいる。

「姉の発表会」

「姉を駅へ迎え」

「姉、帰省」

家族に姉はいない。

兄は一人っ子として育ったはずだった。

削除しようとしても、翌朝には戻る。

忘れられた人との予定は、実在しない日へ移されるらしい。

兄は過去の二月三十日を調べた。

予定の横へ、断片的なメモもある。

「花束は白以外」

「辛い物だめ」

「また喧嘩。謝る」

母に見せると、頭痛を訴えた。

父は怒り、

「悪趣味な故障だ」

と端末を投げた。

ある年の予定に住所が残っていた。

隣県の小さな音楽教室。

兄は一人で訪ねた。

教室の先生は、兄を見るなり、

「やっと来た」

と言った。

姉は本当にいた。

兄より五歳上。

若い頃、家族が反対する相手と暮らすため家を出た。

父が「もう娘ではない」と言い、母も兄も名前を言わなくなった。

やがて記憶は実在しない日へ追いやられた。

姉は数年前に病気で亡くなっていた。

音楽教室の先生は友人で、家族が来るかもしれないと写真や手紙を保管していた。

兄は姉の顔を見ても何も思い出せない。

ただ、写真の中で幼い自分が姉の膝へ座っている。

姉の手紙には、

「弟だけは、私を忘れて楽になればいい」

と書かれていた。

兄は腹が立った。

勝手に忘れさせられ、勝手に許されたようだった。

家へ写真を持ち帰る。

父は見ようとせず、母は泣いた。

兄は毎年の二月三十日の予定を、一つずつ本当の日へ移した。

発表会は三月二日。

帰省は八月十四日。

喧嘩した日は分からないので、今日の日付へ。

「姉について話す」

予定を入れ、家族三人で食卓へ座った。

思い出はほとんど戻らなかった。

母が髪を結ぶのが上手だったと言い、父が白い花を嫌った理由を思い出し、兄は何も出てこなかった。

それでも写真の姉へ、自分の近況を話した。

記憶の中の姉ではなく、今から知る家族として。

共有カレンダーから二月三十日は消えた。

代わりに毎年、姉の命日と、話す日の予定が本当の日付に入る。

存在しない日へ追いやった人を、戻す場所は過去だけではない。

これから来る普通の日にも作ることができた。