位置情報を切る
玲佳がタクシーに乗ると、母から電話がかかってきた。
「今、病院の近くにいるの?」
玲佳は窓の外を見た。夜の総合病院が後ろへ流れていく。家族グループに連動した位置情報アプリで、母は玲佳の青い点を見ている。
「どうして分かったの」
「家族共有で出てるでしょう。何かあった?」
「友達のお見舞い」
「誰? 何の病気?」
安全のために始めた共有だった。けれど母は、玲佳が駅前で二時間止まれば「誰といるの」、休日に郊外へ行けば「聞いてない」と家族グループへ書いた。父も妹も見ている場所で、玲佳だけが毎回説明を求められた。
「位置情報、今日で切るね」
「心配だから見てるのに」
「心配と監視は違う」
「親に向かって監視なんて」
タクシーの運転手が、バックミラーを見ないふりで前を向いている。玲佳は声を落とした。
「帰宅したら連絡する。遠出のときは予定を伝える。でも、今どこにいるかをずっと見せない」
「何か隠したいの?」
「隠すものがなくても、見せない場所は持てる」
母は「家族なのに」と言った。その言葉が、鍵のかかっていない玲佳の子ども部屋のように感じられる。帰省すると母はノックせず入り、昔の服を勝手に洗った。
玲佳は通話をスピーカーにせず、位置情報アプリを開く。「家族と常に共有」のスイッチを切った。地図から自分の点が消える。
家族グループには短く送る。
玲佳 位置情報の常時共有を終了しました
玲佳 必要なときは時間を決めて共有します
父から親指のスタンプが来た。妹も「私もそうする」と続く。母は電話口で「みんな勝手」と言ったが、玲佳は訂正しなかった。自分の位置を自分で決めることは、勝手でよかった。
タクシーがマンション前に着く。玲佳は料金を払い、玄関を開けてから、家族グループへ「帰宅」と一語だけ送った。
母からは「おかえり」。質問はついていなかった。地図から消えた自分の代わりに、その四文字だけが玄関先まで届いている。玲佳は初めて、場所を明かさず帰宅を伝えられた気がした。
玲佳はその文字を読んで、鍵を内側から回した。