余白屋

オフィス街の路地に、「空いた午後を売ります」と看板を出す店があった。

白い切符を一枚買えば、その日の予定がすべて消え、誰にも呼ばれない午後が手に入る。

代金として、未来の招待が一件、自動的に断られる。

仕事に追われる女性は、最初の切符で久しぶりに本を読んだ。

電話もメールも来ない。

世界が自分を必要としていない静けさが、心地よかった。

毎週買った。

美容院へ行き、昼寝をし、何もしないで川を見た。

代金の招待が何かは分からない。

重要なものなら、もう一度誘われるだろうと思った。

ある日、妹から電話が来た。

「先月の食事会、どうして断ったの」

「誘われてない」

「返事、来たよ。都合が悪いって」

自動で断られた招待だった。

次に、友人の個展。

昔の同僚の送別会。

母の通院への付き添い。

未来の招待は、本人の知らないところで一つずつ消えていた。

それでも余白を買うのをやめられなかった。

断る罪悪感なしに休めるのは、その店だけだったからだ。

娘が机に置いた発表会の案内も、いつの間にかなくなっていた。

女性は招待を見た記憶がない。

娘は、

「どうせ忙しいと思った」

とだけ言った。

路地の店へ駆け込む。

「断った招待を戻して」

店主は白い切符を数えた。

「空白にした予定は戻せません」

「発表会はまだ先です」

「招待は断られたあと、別の形になります」

娘は母を呼ぶ役を、もう誰にも頼まないと決めていた。

女性は発表会の日程を直接聞いた。

「行っていい?」

娘は、

「来たいなら」

と答えた。

仕事を断るとき、店の切符は使わなかった。

上司へ事情を話し、同僚へ引き継ぎを頼み、自分で予定を空けた。

迷惑をかけ、申し訳なさも残った。

それでも空白ではなく、娘の名前を書いた午後になった。

発表会で娘は小さな役だった。

台詞は一つ。

女性はその一つを聞いた。

余白屋には二度と行かなかった。

休みが必要な日は、自分で予定表へ「何もしない」と書いた。

誘いを断るときは、相手へ自分の言葉で断った。

すると次の誘いが来ることもあった。

何もしない時間は大切だ。

けれど誰にも知られず作った余白は、ときに誰かがこちらへ差し出した席まで消してしまう。

女性は休む午後と、会いに行く午後を、同じ濃さの字で予定表へ書くようになった。